おととい、小農学会で、蔦谷栄一さんが講師となる勉強会があった。

蔦谷さんの近著「生産消費者が農をひらく」についても話題に。


本の帯より

「皆農がもたらす持続性と地域循環、消費者・市民が生産にも参画する時代、

農業の社会化による日本が農業の再生へ」と書かれている。

 

 

トフラーの「生産消費者」とは?

情報化社会という「第三の波」で予言された考え方。

わたしも都市にいながら農村を巡る立場から常々、都市農村交流、生産と消費の関係について考えている。

とくに、「消費者」という言葉について考える。

 

蔦谷先生の話された、トフラ―の「生産消費者(プロシューマー)」は、

最近、注目されてるようで、関係人口の文脈でも話題になることがあります。

わたしも東京世田谷での農ライフから
これからの農業・農村は、生産者だけでなく、消費サイドの参加・参画が必要だという話に共感しました。

生産消費者(DIY、家庭菜園、体験農園、市民農園)層のボリュームが増えると、

生産と消費の間にある壁を、グラデーション的につなぐことができると思います。

その議論の中で、徳野先生が

「いま話に出た『消費者』と言うのは、人間ですか?購買者ですか?」

という問いかけがあり、ハッとしました。

自分自身、体験農園や農村を訪ねて感じるのは、

都市生活者は、野菜を買う(消費する)だけの人ではない、

自らつくることを楽しみ、その喜びを知っている、するとそのうち買う行動も変化する、

とを実感しているためです。(都市人口からするとわずかであれ、増えている実感はあります)

そこで、この「消費者」という言葉をどうにかできないかというのが自分の問題意識にある


市民、都市生活者、置き換えはいろいろありますが、

生産者や農家に対応する概念としてどう考えればよいのか、
この消費者という言葉自体、企業的な発想ではないか


イタリア発のスローフード運動では、

「スローフードを支援する賢い消費者を『共同生産者』と呼ぶ」そうです。
『共同生産者』という言葉には、生産の延長にいて協力する仲間いう意味がい感じられ、

消費という概念が消えています。
スローフードは日本に置き換えると地産地消のこと

 

ご近所レベルで考えると、農家は、買ってくれる近所の顔見知りをわざわざ消費者とは呼びません。

小さなローカルの取引きにおいて、消費者という発想は生まれないのではないか。

分けなければ、立場の違う、(得意分野の違う)仲間

 

 

とはいえ、今の社会は、小さなローカル圏では生産と消費、流通、経済を考えることはできません。

 

一方で、環境の分野には「地域循環共生圏」という概念があります。

ローカルSDGsとも呼ばれます。

地域の個性を活かして地域同士が支え合うネットワークを形成する「自立・分散型社会」を示す考え方

 

 

 

経済評論家・内橋克人さんの「自発的消費者」と、

また、徳野先生の消費者の4分類と、消費者にもいろいろあるのは理解しますが、

 

消費する者と名付けている限り、その域から出ることはないのでは~と思うのですが~。

 

 

なんてことを考えていると、

 

 

徳野先生から

消費者を問うなら、生産者も合わせて考えるべきとご指摘いただき、確かに、生産者の中にも、消費者の中にもグラデーションがあるとわかった

また、徳野先生の「農業政策と農村政策の乖離を問う」を拝読し、

消費者4分類に加えて、後半に出てくる生産者の3分類が興味深かった

「貨幣経済的視点から見れば,

①カネを儲ける農業と,

トントンの農業と,

③カネをつぎ込んで、 もよい農業が併存している。①の儲けることを目標としている農業だけを農業を規定しているのは,農学・農政の偏見であろう。そして,現状では②と③の農業者が圧倒的に多いことも事実である。この現実から,目を逸らせるべきではない。」 


山下惣一さんによる松田喜一さんの教え 「百姓5段階」とも重なると思いました。

 


わたしもかねがね

消費者=購買層とひとくくりにされることに違和感がある

心や人間性が消費行動を決めると考えるからだ

またご近所レベル(地産地消)と、大きなマーケットでは、相手の見え方が変わってくる


 

くしくも徳野先生の問いかけは、

意思のある買い手、という捉え方か、数量としての購買層かというような意味だろうと思う。

徳野先生は農村社会学が専門なので、社会学的視点からは、

意思のある人間を見る。

いまの農政は、農業経済学者が多数を占め、社会学者はあまり聞いたことがない。

農業を産業という視点で考えることに終始している。


この消費者という言葉自体、企業的な発想ではないでしょうか。

 

一楽照雄さんは、(産消)提携の10ヶ条の中で、

「自給する農家の食卓の延長線上に、都市生活者の食卓をおく」という言葉があります。

今でいうCSAのあるべき関係を説明しています。

 

トフラ―が「生産消費者」で言わんとすることは理解しますが

生産と消費、という言葉が出てくる限り、既存の売り買いの域を出ないのでは、という疑問

 

トフラ―は「生産と消費の同時性」ということを言っています。

サービスと言うのは、生産と消費が同時に起こるのだと。

情報の双方向性のことも言っています。

つまり扱っているものは、農産物という物ではなく、サービスです。

生態系が人にもたらす便益、恵みのことを「生態系サービス」と呼びますが、

農を営む(生産)ことによって恩恵(心理的、物理的)を受ける、ことを、生産消費者と呼ぶのであって、一人の人間の行動の中に、生産者と消費者が同時に存在することを示しています。

 


「消費者」という言葉にこだわったのは、
明峯哲夫さん(有機の研究者で、消費者自給農場「たまごの会」などを主催した
都市にいながら農を考え、実践された方)が、
311の震災のあとに話した言葉を、福島の有機農家から聞いたことがあります。

「有機農業運動は、たくましい農民を生み出すことには成功したが、たくましい消費者を育てることはできなかった」

この言葉が気になっていました。
これは、徳野先生のいう、2番目の「健康志向型消費者」のことだと思います。
福島では、311の前は、有機農業が盛んで、消費者との交流も活発でした。けれど、
放射能を怖れて、みんな逃げるように去ってしまった。
自分や家族の健康を考えると、確かに去っていく消費者の心理もわかります。

一方で、少ないけれど、残った消費者もいたそう
それはまさに親戚づきあいしていた1番目の層、期待する消費者。
当然ながら、安全性は担保した上で、「応援消費」「買い支え」という
気持ちがむしろ高まった。(エシカル消費)

一方で、311以降、震災ボランティアにわざわざ出かける都市住民も多くいました。
困っている人がいるなら、なにか手伝いたい、(自分の活躍が人に喜ばれることへの欲求、満足)
自己有用感、使命感につながる心理が都市生活者にもあることがわかりました。

こういう「自分ゴト」「当事者意識」を持つ人は、消費的ではなく、自立的・積極的・能動的で、
こういうグループは、もはや「消費者」ではなく、まさに「生産消費者」に足を踏み入れているという印象です。

また、消費者庁、消費者センターというのがありますが、
一般に消費者の相手となるのは、ほとんどが「企業」です。

山下惣一さんは、「農業の問題は消費者の問題だ」と言いましたが、

その間には、スーパーなどの巨大な「市場流通」という壁が立ちはだかり、相手を見えなくさせています。


本来、市民(住民)と農民は同じ「民」ですから、友好関係で手をとりあうべきですが、
「消費者」と名付けた途端、「生産者」の対義語になってしまいます。
問題は、消費する立場でしかいられない存在を生み出している「構造」ではないかと。

そこで登場するのが、ローカル自給圏、FEC自給圏、地産地消、CSAのコミュニティです。(顔の見える関係)。
 

消費者にも4分類、生産者にも3分類、そしていままたプロシューマー(生産消費者)という

間をつなぐ概念ができていて、

ものごとをグラデーションとか、バリエーションでみる分析や整理の方法、

 

農村社会学を含む社会学の視点は重要だと思いました。

 


言葉、概念、定義が気になる

 

まとまらないので

またそのうちつづく

 

 

ベジ@あゆ