災害に強いコミュニティ~安全こそ地産地消で
これは1月1日、「世界農業遺産」の特集で日本農業新聞に掲載した春蘭の宿の写真。多田さんの娘さんの真由美さん。
能登半島地震発生から1か月が経とうとしています。
奥能登では今も5万戸近くで断水が続き復旧が急がれます。
(※1/29のNHKニュースでも断水は依然4万戸余 遅い地域では4月以降に復旧)
そうした中、被災地の中でも人的被害の少なかった
能登町宮地地区の多田喜一郎さん(75歳)に電話でお話を聞くことができました。
多田さんの家は、昔ながらの能登様式の黒瓦の屋根に、大きな梁と柱、囲炉裏が見事な古民家で、
農家民宿を営んでいます。
27年前から始めた農家民宿群「春蘭の里」の取り組みは、
地域活性化や農泊、世界農業遺産の関係者にはよく知られている地域のリーダーです。
重厚な作りの家は倒壊こそ免れましたが、家具などが散乱したため、一家で避難生活を送っています。
避難先の交流宿泊所「こぶし」は、かつての小学校を、地元の要望により宿泊・交流施設としてよみがえらせた施設で、1/22現在、約20人が避難しているそうです。
多田さんの暮らす宮地地区では、上下水道とも通っており、電気も使えるとのこと。
ほんの数キロ先の地区では断水が続いている中、どんな違いがあったのでしょうか。
まず水は、共同水道以外に各家に井戸水があったこと。
水道管の破損はあったものの、すぐに自分達で修理できたため復旧が早かったそう。
また下水道についても、個人設置型の浄化槽だったため、自力で直すことができたそうです。
どうやら後から調べると、
下水道の配管の方法には、地域ごとにいろいろあって、
町営の公共の下水道管に直につながっている場合は、町の復旧工事を待たないといけないけれど、
多田さん達の宮地地区は、個人設置型の浄化槽という形で、いわば独立して浄化してから排水しているため、
自分達で破損部分を直せば使えるようになり、復旧が早かった、と言うことらしかった。
飲み水、トイレ、炊事、風呂、洗濯、、、
上下水道が使えることが、あらゆる生活の基本になると同時に、
使えないと、あらゆる生活の行動が制限されてしまう。
避難所には個室、風呂、トイレが完備され、被災者に加えて、他県からの支援団体の拠点にもなっています。
(長野県の社会福祉協議会)
驚いたのは、
ちょうど23年11月に、石川県のスマートドライブプロジェクトのおかげで、
EV用の水素による発電設備が完成したばかりだったそう。
自家発電できたということでした。
電気の地産地消。これは強い。まさに自給、自立の強さ。
しかも、世界農業遺産の認定だったことや、グリーンツーリズム推進協議会の会長だったこともあり、
いろいろチャレンジしていて
その前から小水力発電や太陽光にも取り組んでいたそうで、それが、
レジリエンスにつながったのではないか。
ご本人が「何があってもキラリと光る地域」ですと明るく力強く話されました。
そもそも避難所となっている交流宿泊所「こぶし」は、小学校の跡地のリノベ活用。
農家民宿の取り組みがあったから、交流宿泊所にしたという経緯があり、
地元では介護施設になりそうだったところを、宿泊所にしたということでした。
そのおかげで、10室の個室があり、お風呂もある。
他の避難所よりも、環境が充実しているため、
「こぶし」には、長野県など、他地域の社会福祉協議会が支援にきたとき、拠点になってもいるそう。
23年11月に完成した、石川県のスマートドライブプロジェクトについて
施設には、小水力発電、太陽光発電、さらに水素による燃料電池発電まで整備されていました。
そしてこれを、環境教育に生かしていた。
https://www.meijidenki.co.jp/ja/index/main/02/teaserItems2/0/file/zerocarbonvillage20231107.pdf
能登半島「春蘭の里」ゼロカーボンビレッジ実証システム工事が完成。
石川県によるカーボンニュートラル産業ビジョン
脱炭素社会実現への貢献と、県内産業の更なる発展をめざして。
その重点取り組みとして、水素ステーションの県内整備や、
能登スマート・ドライブ・プロジェクトのFCV化 などを推進しています。
この事業では、能登町「春蘭の里」の宮地小学校跡地にある、地域交流の場として
リニューアル された「宮地交流宿泊所 こぶし」において、
太陽光と小水力からなる再生可能エネルギーを活用 して、
水素を製造貯蔵し、燃料電池で電気として利用する取り組みを進め、
工事が、23年11月に完成しました。
「春蘭の里」の美しい里山景観との 調和に配慮しながら、
地域のゼロカーボンを目指したエネルギー地産地消の実証システム
(明治電機工業株式会社 エンジニアリング事業本部 エネルギー事業推進部(名古屋))
交流宿泊所「こぶし」
鳳珠郡能登町 宮地1-2-1
廃校になった小学校を外観はそのままに体験型宿泊交流施設としてリニューアルし、2006年にオープン。
2021年7月14日 中日新聞の記事
また地域の高齢者や、民宿経営者が寝具を洗濯できるよう、
21年に大型コインランドリーを設置していた。
これがが功を奏し、
今、能登じゅうから洗濯物を抱えた人々がやって来て、生活の助けになっています。
しかし、なぜこれほど強い地域コミュニティとなり得たのか。
宮地地区は、農家民宿群「春蘭の里」発祥の地。
スタートは1997年。
かつては町内で最も高齢化の進んだ集落でした。
それゆえに多田さんは仲間と危機を共有し、その打開策として、能登ににぎわいを生むために始めたのが、農家民宿でした。
「能登の魅力は、売りに行くよりも来てもらうことだ」とツーリズムに舵を切ったのです。
自分達の地域の自立と、農泊で、外部の人と交流し、生き残るために取り組んできた
数々のことが、レジリエンスにつながっているのだと感じました。
里山を資源とし、地域にあるものを生かす積み重ねが、あらゆる生活インフラの地産地消になっていたのです。
民宿は輪島市、珠洲市、穴水町の60軒に広がり、運営は娘の真由美さんが継いでいます。
27年前に集落消滅の危機があったからこそ、いち早く方向転換することができたのではないか。
自然と共生する農業システムは、国連食糧農業機関(FAO)による世界農業遺産「能登の里山里海」として、
日本初の認定に至りました。
いまでは修学旅行や外国人客にも人気となっています。
1月19日、電話でのインタビューで多田さんは、
「地域の自立のためにやってきたことが、コミュニティの強さになった。
経済効率重視でなく、人的幸せとは何かを追求することが大事。
何があっても、キラリと光る地域に復活する」と希望を語ってくれました。
1月23日に日本農業新聞に書いたコラムを加筆修正して
掲載しました(1/23付)
ベジアナあゆみ