こういう議論があると知って驚いた。

村じまい、集落じまいは前から中山間地や農村問題で論じられてきた。

が、復旧より集団移住という言い方は乱暴。受け入れがたい。

 

集落のしまい方、は被災地に限らず今後あらゆる過疎地域で起こる、または既に始まっている。

大災害がそうした議論を加速させるのは確か。

だが丁寧な議論が必要。

少なくとも言葉選びには注意されたい。

仮に正論であったとしても、人格や人間としての品位、また心のあるなしを疑われる。

人間的に敬われない人の意見は、例え正しくても通らなくなる。

そういうものじゃないかな。

人には心情がある。

生活の場を選ぶのは人権であるが、その自由を奪われた状態の地域に対しては。

 

 

この人はきっと、Xで叩かれても、気にも留めないのだろう。

前にひろゆきを逆に論破していた。

感情ではなく、論理的思考の持ち主なのだろう。

行きがかり上、シェアしたけれど、顔に人間性は出ているような気がする。

話は変わるがわたしは昔、ショートカットで目が離れているせいか、

室井佑月に似ていると言われた事があるのだが、、あまり嬉しくも、気持ちのいいものでもないな。

 

 

それより、農業・農村を取材や、

農水省の農村振興、国土審議会の山村振興部会など、

いろんな役割を頂いているせいで、

村じまいという言葉は聞くことがある。

国では、前々から人口減少に伴う「集落の維持」について真剣に話し合っている。

 

いつも事件は、辺境から始まるのだ。

 

「村じまい」を調べていたら、全国町村会のHPにこういうコラムが出てきた。

法政大学の岡崎先生の意見。

 

多極集住は地域の過疎化を進める

法政大学名誉教授 岡﨑 昌之(第3221号 令和4年11月28日)

 

 

日本の集落はそれぞれが長い歴史をもっている。

そこで生まれ、そこに嫁いできた人たちが、自然環境と折り合いをつけ、地域に価値を見出し、

その価値を最大限に活かしながら暮らし続けてきた。

そうした暮らしが、離島や山間部の集落で営々と紡がれ、国土が管理され守られてきた。

人が地域で暮らすということは、経済効率主義で簡単に割り切れるものではない。

 

多極集住論の危ういところは、多極の極とは何かが明示されていないことだ。

冨山氏は文中に「湯布院は集積で成功」と述べている。旧湯布院町の総合計画策定にも関わった筆者からすればそれは違う。由布院温泉の旅館経営者たちは、盆地内や周辺集落の農林業者と連携し、

その価値を最大限に活かしてきた。

由布院がまちづくり型観光地のモデルと位置づけられたのは、

まさにその連携があったからだ。

集積ではなく緩やかな支え合いだ。

まち中に集住して効果がなければ、より大きな都市の中心部へと、

多極集住は一極集中に繋がり、

村じまいや村おさめを促された町村の周辺部は、より厳しい過疎への道を歩むことになる。

賢く撤退するのではなく、より賢く再生の道を模索することこそ重要だ。

 

 

それからこういうのも見つかりました。

農村づくりICT支援研究会 主宰:山本徳司さん

 

 

「村じまい」という振興

 

 「村じまい」は農村を創ってもいないのに、「農村づくり」と表現するのはおかしいじゃないかと言われるかもしれませんが、集落の「最期」の形を創る(作る)過程と解釈してもらいたいと思います。

「農村づくり」において重要なことは、何に至るかではなく、そこに至る過程において、

参加する住民が納得できるようにしたり、思い残しが無いようにしたり、

多様な住民が多様性を保ったまま満足できるような工夫をすることです。

 

 でも、「もうこの集落は成り立たないですね、何をやっても活性化しないですから、潔く集団移転しましょうよ」なんて、簡単に言ってはいけません。

これだと自殺幇助みたいではないですか。そうではないのです。

もう一花咲かそうか、どう生きようか、そして、それでもダメなら、

どう畳んで行こうかと、とことん考え抜き、最終判断を住民自身が合意して選択し、

決まった目標に向けて推進することが大切なのです。

 

 人口が減り、産業だけではなく、生活についても立ち行かなくなった集落の最期を、

なおざりにしたり、しかたなく整理するのは「村じまい」ではなく、「村つぶし」になります。

しかたなくではいけないのです。

人の「終活」もしかたなくやるものではありませんし、決して寂しいものでもありません。

人生を振り返り、記録し、残りの人生を有意義なものにするとともに、最期には身の丈に合った尊厳のある儀式を執り行うことで、その人が生きていたという「証」と「誇り」を後世に残るようにすることであるように、集落の最期もその歴史をその地に刻んでいくものだと思うのです。

 

 集落が最期を迎えるか、まだ闘えるかについては、現状をある程度科学的に分析しながら選択することもできるとは思いますが、大切なのは根拠よりも、住民の納得と合意です。

戸数が減るとたいへん難しい決断となり、行政の調整支援もままならなくなりますが、それでも、そこを協働して話し合っていくことしか道はありません。

それをするのが「農村づくり」ということになります。

・・・・・・・・・・・・・

 

とても示唆に富んでいると思った。

 

それと、2年ほど前だったか、まさに能登のシンポジウムで、

金沢大学の林直樹先生の講演を聞いたことがあって、

集落じまいについて話されていた。

 

 

現在、農村の人口減少が大きな問題になっています。

一口の農村といっても多種多様ですが、

きょうは、過疎が著しい集落、過疎集落に注目し、現状維持にこだわらない集落づくりの新しい選択肢、

「再興を意識した建設的な縮小」についてお話しします。

 

まずは、用語の定義と補足です。
ここでは、国勢調査の人口がゼロになった集落を「無住集落」と呼ぶこととします。

なお、国勢調査の人口は、常に住んでいる人の人口、つまり、「常住人口」です。

(無住集落の事例紹介)
わたしは、2017年から石川県の無住集落について調べています。

ただし、石川県を対象とした調査では、大字(おおあざ)を「集落」とみなしています。

石川県の場合、ダム水没などを除いた無住集落の数は、2015年時点で33か所、

2020年時点で44か所です。

5年間で11か所も増えたことになります。
石川県の無住集落から特徴的なものをいくつか紹介します。

 

中略

 

「再興を意識した建設的な縮小」という選択肢があってよいと思うのですが、いかがでしょうか。
なお、「集落の力」の維持では、常住人口だけでなく、集落からの転出者、元住民も重要です。

転出者は集落づくりの脱落者ではありません。

山をおりて、ふもとから「通い」で集落の維持に寄与する、

ということであれば、転出者も非常に貴重な戦力です。

「土地を離れることはわるいこと」と単純に決めつけてはいけません。

 

 

いずれもリンクから、一部抜粋しました。

 

いろんな人がいろんな場に書き記しているように、

丁寧な議論が必要だと思った。

冒頭の米山さんも、議論の口火を切っただけかもしれないが、

言い方は大事だと思う。

その上で、どうすることが住民にとって最善なのか。

決めるのは住民だけど、アイデアや選択肢を出すのは住民だけではなく、

いろんな知恵を出し合って、考えていかないといけない。

 

 

またまたとりとめもない頭の整理ですが

きょうはここまでーーー。

 

 

おやすみ

 

明日は、世界農業遺産の三芳町へ落ち葉はきーーー。

 

ベジアナあゆみ

 

 

11月に訪ねた時のブログ

農業遺産シンポジウムin能登で生き方、暮らし方を考えた

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能登のあえのこと。