みなさん、こんにちは。
きょうも東京は猛暑です。
昨日、再放送の「ポツンと一軒家」を見ていたら、
北海道・十勝の様似町で放牧で牛を飼う西川さんが、ファミリーで紹介されていました。
7年前に訪ねたことがある様似町、駒谷牧場。
100haの敷地(放牧地と森林)にアンガス牛が97頭、放牧されている。
牛が森の中で休み、牧草や野草、山菜を食べ、川の水を飲んで自由に生きている。
一般に、肉牛というのは、太らせないといけない(肥育)。
放牧して自由に動き回ると、脂肪が減り、筋肉がついてしまい、やせてしまうからだ。人も牛も同じ。
肉を多くとるためには運動させない方がいいので、肥育期間は牛舎の中で運動させずに飼うのが一般的。というか99%それが当たり前。
にも関わらず、この牧場では出荷直前まで運動している。
そもそも牛舎がない(昔建てた古い牛舎しかない)。
当然、運動しない牛よりも脂肪は少なくお肉は固くなってしまう。
いわゆるサシの入る黒毛和牛とは正反対の価値観を追求している。
7年前に訪ねた、西川奈緒子さんと息子のゆうきくん。
当時、大学生でった息子さんは、ゆくゆくは「放牧で豚を飼いたい」と語ってくれた。
これが「ジビーフ」と名付けたアンガス牛。
ジビエのように野性的に飼われた、地の物のビーフという意味から。
黒毛和牛とは違い赤身主体の牛肉。
歩き回って筋肉がついているから、霜降り(サシ=脂肪交雑)のとろけるお肉ではありません。
だけど、噛みしめると牛肉のうまみが感じられるしっかりしたビーフ。
この牧場には明るい未来と健康な牛しか存在しません。と、畜産雑誌の記事に当時書いた。(2016年6月)
今回、再放送を見ながらわたしが感じたのは、
地上波のテレビ番組でこういうテーマを扱う時代になったのだなーという感慨深さと、驚き。
番組では、西川さんがジビーフに至る経緯を丁寧に紹介。
父の代から始めた牧場で、
経済成長の時代、日本人はもっと牛肉を食べるようになると今の土地に移り
牧場を拡げて開拓を進め、牛の数もなんと800頭まで規模拡大していった。
幼いころから牛とともに育った奈緒子さんは、牧場を継ぎたいと獣医師の資格をとり、
同じく獣医師の夫とともに、父の牧場を継ぎました。
しかし、90年代はじめに牛肉自由化が始まり、安い輸入牛肉が大量に国内に入ってくると、
国産の牛肉価格も低下、
さらに2000年代になるとBSEの世界的流行が広がり、国内にも発生、
風評被害から消費者の牛肉離れが起こり、牛肉が売れなくなる状態に。
800頭いた牛を飼い続けることはできず牧場は存続の危機に。
(この辺の歴史的背景まで番組で、新聞記事などインサートして紹介していることにも感心した)
そこで、
小規模でもコストをかけずに牧場を続けようと始めたのが、今の完全放牧。
その方が、牛にとっても自由だし、
人間(畜産農家)にとっても、牛舎で何から何まで世話をする飼い方に比べると
管理がラクで、しかも牛が健康になる。
こういうことを番組で丁寧に紹介していることに驚きました。
ポツンと一軒家という番組は、そもそもドローンの映像で上空から見たときに、
こんな山の中にポツンとなぜ?
人はなぜこんな過疎の山の集落に住み続けるのか?という問いが根底にある。
農山村に生き続ける昔ながらの日本人の暮らしを、いわば民族学、比較文化的に扱っている。
1970年代には1000万人いた農業人口が、130万人になった今、
農業・農村人口が、総人口の1%というマイノリティーになった時代に、
それでもなお農村に生きる人々は少数民族のようなものである。
現地で発見した「第一村人」が何を思い、どう暮らし、何をして生きているのか。
都市化した今、農村はもはや外国の秘境と同じである。
しらない土地の文化を探りたい、知りたいーと言う知的探求心が、エンターテインメントになっている。
その時に最も大事なことは、当事者へのインタビューである。
どんな人生を送って来たか、
なにを大切にしてきた人なのか、
といはいえ、今の社会とどう関わり、経済を成立されているのか、
本人の語る言葉から、そこに住み続ける理由を探っている。
農業・畜産や農政まわりの取材や勉強が多い私には、
こんなに放牧を礼賛する番組を、地上波で取り上げることに驚いたわけだが、
人の生き方を紹介する番組だと理解すれば、自然なのかもしれない。
なぜこれほど、放牧を取り上げることに驚くかというと、
農業、農政界隈において放牧がこれほどフィーチャーされることはまずないからだ。
様々な農業経営、畜産、酪農経営を取材している立場として感じるのは、
「放牧」=「低コスト経営」で、人にも環境にも、牛にも社会にも経済にもやさしい三方よし、四方よし経営ということである。
家畜(動物)、経済、生産者、食料生産にも、
牛乳が余ってこまる酪農家にも、(放牧(牧草主体)は購入した飼料を与えるよりも乳量が少ない)
肉牛がよい値で売れなくて困っている畜産農家にも、
飼料代が高騰し過ぎて経営難に陥っている畜産業界全体にもメリットしかない。
(放牧は自分の放牧地で牧草を育てるからあまり購入飼料が少ない)
一方、国や行政の農業政策では、メインの方法としては扱われない。(マイノリティー扱いなのだ)
国の農政では「農業の近代化」以降にしか目が向いておらず、
小規模農業や、伝統農業、放牧、家族経営、小さな地域内の資源循環を増やそうと言う動きがほとんど感じられないからだ。
スマート農業や大型化、無人化で農業ができる仕組みを推進した挙句、本当に農村に人がいなくなったらどうなるのだろう。
今よりもっと鳥獣が跋扈し、人以外の生き物の楽園になり、土地は、国土は荒廃するのは時間の問題だ。
というのがわたしの問題意識。
いずれにしても今回の、自然放牧(礼賛にも思える)をしっかり取りあげた番組が
こうして地上波で放送され、
タレントや、林修さんとか文化人が、こういう牛の飼い方、家族の暮らし、お肉って、いいね、
とコメントして肯定することから、農業農村問題の改革を始めるしかないのかもしれないなと思った。
よく、マーケットインって言いますね。
生産という川上から考えるのではなく、消費という出口から考える。
消費者とは、つまり視聴者である。
書き出したら止まらなきなってきたので今日はこのへんでーーー。
以下は、言葉のメモ。
自然放牧、林間放牧とも言っていた。
アグロフォレストリーという、いま世界で注目されている農業と林業を合わせた方法と共通点が多い。
牛舎は不要、牧草を食べてくれれば飼料を買わずに済む。(低コスト、地域資源循環)
牛舎の掃除も要らない、牛を飼うと大量に出る「糞の始末」が環境問題にもなるのだが、
広い土地に牛を放てば、糞は分解されて土に還り、そこにまた牧草が生えて、牛が食べるので、
一石何鳥もメリットがある。
にも関わらず、国内では、土地が狭いことを理由に、放牧は増やせないという論調がまかり通っている。
すべての畜産農家を放牧にする必要はまったくない。
8割は今のままの牛舎飼いでもよいので、いま1割に満たない放牧を、2割にすることから始めることはできないか。
と、考える。
酪農(搾乳)と肉牛生産は、同じ牛の農家でも大きく異なるが、
両方あわせても、いま放牧を取り入れているのは、1割もいないのが現状。
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牛が自由に歩き回ったり、自分の意思で草を食べたり休んだり行動できる飼い方を、
アニマルウェルフェアに配慮した家畜の飼養管理(家畜の快適性に配慮した飼養管理)と呼びます。
「アニマルウェルフェア」(家畜福祉)を簡単に説明すると、
牛・豚・鶏など、いずれは畜産物として食料にするための動物(=家畜)であっても、
生きている(飼われている)間は、苦しまずに快適にその動物らしく過ごさせる飼い方(飼養管理)を示すものです。
具体的には、
「水やエサに不自由することなく、健康で、快適な環境下で過ごし、
その動物に本来備わっている生態(動物特有の行動)が発揮できる状態」を重視しています。
(OIE(国際獣疫事務局)により定義)。
日本国内よりも肉食文化の盛んな欧米で広まっている考えで、
このお肉はどういう飼い方で育ったかを問うものです。
家畜を畜舎の中で飼い、輸入した飼料を与えてきた畜産という産業ですが、
ここへ来て為替相場、国際情勢、中国の急成長、気候変動、あらゆる地球規模の危機から来る飼料高騰により、
経営基盤がゆらぎ、脆弱さが浮き彫りになっています。
一方、霜降りの黒毛に有利な格付け(A5とかA4とか)により、和牛以外の牛肉が、
適正な価格で取引される市場はありません。
ということは、黒毛以外の生産者が、生産だけで生き残る道は、ほぼ無いというのが国内市場の現状。
和牛は4種類あるとは名ばかりで、黒毛以外の生産者の生き残り策は、実質ない。
人類史上、畜産、家畜の最大の特徴は、
「人が食べないものを食べてくれて、そこから食料などの恵みを生み出してくれること」。
人口減少、鳥獣害、食肉の市場価値、土地利用、草資源の活用、脱炭素、石油エネルギー以外の動力、動物福祉、生態系サービス、 ますます家畜と人の共生、放牧の時代、 そして多様なお肉の価値の時代を感じたのでした。
ベジアナぽつんと農村アナあゆみ