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喜多方市山都町、飯豊山を望む上堰棚田に水を引く農業用水「本木上堰(うわぜき)」の堰さらいに参加してきました。

 

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江戸時代に12年かけて会津藩の命により開かれた6キロに及ぶ山腹水路。 

 

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堰さらいは2000年に始まり、23年間続いている有志サポーターによる作業です。

 

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27年前に移住した浅見さんと、その1年前28年前に移住した大友さんとのお二人が活動する本木・早稲谷 堰と里山を守る会。

始めは7人の友人達から始まったそうです。

 

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今年は44人が、首都圏をはじめ県内外から集まりました。

 

田植えの前の棚田に水を張るための水路清掃。

体験ではなくガッツリ本気の作業です。

 

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冬の間にたまった落ち葉や枯れ枝、泥をかき出します。

水分を含んでずっしり重いため

男性はスコップ、女性は農用フォークというのも納得です。

 

去年8/3の豪雨災害で土石流が起き、江戸時代から続く山腹用水の複数箇所が損壊しましたが、これから復旧大工事の計画。

フォークで落ち葉と泥のかたまりをすくっては谷の下へ、すくってはかき出す作業をしながら、

 

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働くとは何か…⁉︎

いろいろ感じたり考えることありました。

間違いなく言えるのは、達成感というか自己有用感、自己肯定感が上がる上がる‼️

とにかく足元の仕事をやらなくちゃ。

 

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何より作業のあとのカレー、ビール🍺

 

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上堰米のお酒🍶もおいしかったな〜♪

 

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わらび、ぜんまい、こごみ、つまみタラの漬け物、自家養豚の豚カツいろいろ。

 

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イカリソウ

 

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本木上堰は、福島県による「特に後世に伝えたいふくしまの水文化」に認定。

さらに「上堰棚田」は農水省の「つなぐ棚田遺産」にも認定されている

未来へ継承すべき大切な農業文化です。

 

 

5/4「本木上堰の堰さらい」

山腹水路の清掃に参加して、感じたこと、考えたことを書きました。

 

 

 

「堰さらいで絆を構築」

当事者・仲間意識は協働から

(日本農業新聞23.5.9今よみコラム)

 

福島県喜多方市山都町。雪まだ残る飯豊山を望む山里に江戸時代に開削された水路「本木上堰」があります。

農水省の認定するつなぐ棚田遺産の「上堰棚田」まで全長6㎞にも及ぶ山腹水路で、

毎年5月4日に行われる「堰さらい」には、都市部から多くのサポーターが参加します。

堰さらいボランティアが始まったのは2000年。

27歳の時に、この地に新規就農してきた浅見彰宏さん(54)は、

江戸時代に築かれた先人の偉業と水路の歴史に驚くと同時に、水利組合のほとんどが70代以上の高齢農家だと知り、

「このままでは堰も田んぼも維持できなくなる」と、都会で働く友人7人に声をかけて集まったのが、

はじまりです。

 無償ボランティアでわざわざ都会から交通費と時間をかけて、親戚でもない他人がやってくることに、

最初、地域の人は疑いを隠しませんでした。

その時に力になってくれたのが、浅見さんより1年早くこの地に移住し、

就農していた大友治さん(75)でした。

堅実な働きぶりで、地域の信頼を得ていた大友さんの協力もあり、

7人のよそ者が加わる初めての堰さらいが2000年に始まったのです。

その後、「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」を結成し、受け入れ体制を整えてきました。

 当時は23人いた水利組合の地元農家さんは、23年経ち、

今では大友さん、浅見さん、そして唯一の地元農家である山之内紀男さんの3人になりました。

 

そして今年の5月4日は、44人が参加。

筆者も農用フォークを手に臨みました。

 

水路にたまった落ち葉や泥をひたすらかき出す人海戦術は、腕と足に堪えますが、

初夏の草花や多様な生き物の息吹を感じながらチーム協同でかく汗は心地よく、達成感があります。

 

作業後のビール、上堰米のお酒、山菜や郷土料理、交流会での語らい。

堰と里山を守るサポーターとの関係は20余年続いています。

 

交流が長く続く理由を浅見さんは、「堰さらいという共同作業」が、

サポーターを外からの来客から「お米とお酒と里山自体の存続に関わる運命共同体」に変えていったと話してくれました。

311の後、風評で消費者離れを経験した福島県ですが、

堰さらいには2011年5月でもいつもと変わらず33人がやって来たというのです。

 

既存の都市農村交流とは大きく一線を画す、堰さらいの絆とは。

ミッションがあると人は離れていかない。

単なる消費者ではなく、地域の疲弊を自分ごととしてとらえる当事者意識は、お客さん扱いでは生まれません。

 

同時に自分が役に立つ喜び、働く有用感が得にくい都市社会と比べ、

自分の働きで清らかな水が流れ、農村が保たれる実感は、物をもらうより貴重な心の満足となります。

 

自分が作ったお米はおいしい。自分が掃除した水路は尊い。

多面的機能の重要性が高まっています。

国産消費、農村人口、環境問題は、個別に考えてももはや解決しません。

問われているのはわたしたちの生き方、暮らし方であり、それには、教育の再考が欠かせません。

産消の壁を取り払い、協働を交え、心を通わせる提携を結べれば、生き方が変わり、

消費行動は自ずと変わります。

堰さらい交流は、都市農村問題を人の心理から問い直す一つの答えだと感じました。

 

 

小川町で有機農業を学んだ後、新規就農した浅見 彰宏さんの発案で

大友 治さんと結成した「本木早稲谷堰と里山を守る会」

 

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2000年から23年、311も原発も風評も乗り越えてなぜたくさんの都会の人達が堰さらいに通い続けるのか。

浅見さんが参考にしたのは、有機農業界で知られる「(産消)提携」。

最近はCSAなどと呼ばれる(コミュニティがサポートするアグリカルチャー)スタイル。

都市農村交流、提携の「関係性」にも濃淡があり、第二のふるさと、親戚づきあい、

いろいろあるけれど、堰さらいという地味〜で実務的な労働作業を毎年続ける関係にこそ、

本物の共助、友好、同志、運命共同体という絆が生まれる仕組みが隠されていました。 

 

 

何かあると離れていく買い支えと、何かあるとむしろもっと支援協力したいと心を寄せる支え方、

その心理の間にはある大きな溝。

それを埋めるには、

おもてなしはしない。お客さん扱いはしない。

 

コラムでは書ききれない発見があり、都市と農村の関係をフェアに!

を掲げるわたし自身が抱えていた問いの答えを教えてもらった気がしました。

 

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与える人か、もらう人か。

 

もらうのに慣れてしまうと、もっとくれー!となるけど、実は足りないんだよって言われると、

え、そうなの、じゃあこっちが持ってるものあげようか、ってなるのが人間ではないか。

 

浅見さんは「「これまでの)有機農業は、たくましい生産者を育てることには成功したけれど、たくましい消費者を育てることはできなかった」。

という明峯哲夫さんの話をしてくれました。

なるほどと考えていたのだけれど、

もしかしたら

消費サイドにいる限り、たくましくは、なり得ないのではないか。

なんてことを言うと、言い過ぎかな。

 

参考資料

 

 

 

 

「生命を紡ぐ農の技術」 明峯哲夫著作集

暮らしを見直し社会を変える、自然に寄り添う生きるための農。

都市住民による自給農場運動を率い、誰もが耕すことの意味を実践的に探り、

農業生物学と有機農業を現場から考え続けて急逝した研究者の40余年の軌跡。

明峯哲夫(アケミネテツオ)
1946年、埼玉県生まれ。北海道大学農学部卒業。1970年代から「たまごの会」「やぼ耕作団」など

都市住民による自給農場運動を推進し、人間と自然、農の本源性、暮らしのあり方について

都市市民の視点からの本格的な農業論を初めて提起した。

NPO法人有機農業技術会議の理事長。2014年9月15日逝去

 

 

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おまけ)

堰さらいで見つけたうるい(オオバギボウシ)のおひたしと山ノ内さんちのぜんまいで昨日は晩酌〜♪

ありがとうございました。

 

 

一億農ライフ♪ベジアナ@あゆみ