「紅花の守人」ドキュメンタリー映画

9月から公開に先駆けて試写会に行ってきました。

 

 

紅花生産者の長瀬正美さん夫妻は、このドキュメンタリー映画の主人公であり、実は製作委員会の発起人でもあります。

 

 

長瀬さんからプロデューサーの髙橋卓也さんに、

「紅花を広めるためにこれまで尽力してきたけど、参加者10名くらいのワークショップを開くだけでは、紅花の価値を広げていくことに限界を感じている。映画を作ってもらえないか」と相談し、

感銘を受けた髙橋さんが、佐藤監督に声をかけて撮影が始まったという経緯があるそう。

 

 

長瀬さんの奥さまが、いかに長瀬さんが紅花生産に魅せられ、はまっていったか。側で見ながら感じたことを話されたのを聞いて、ぐっときた。

歴史ある紅花の価値を後世に、わずか1%の紅の色素をとりだす技の継承、紅花生産の振興を、

大義名分はいろいろあるけれど、長瀬さんを突き動かした最もまっすぐな動機は、

近所の高齢農家に、教えを乞いたくて、通い続けた。

山形の出羽のその地区(周辺)に連綿と受け継がれる、壮大な土着の遺伝子の輪の一員になりたかったのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

農業を継ぐと決めて実家に帰ってから、生産性と収益向上だけでは何か足りないと模索していたときに出会ったのが、紅花であったと、長瀬さん自身からつい3週間前に訪ねて聞いたばかりでした。

 

 
長瀬正美さんがクラウドファンディングと映画製作に寄せた言葉。
 

大きな戦争があったあの時代。この地を選んだ紅花が途絶えてしまったあの時代。

種を守った「紅花の守人」の信念に私の心は震えた。

 

その種の子孫を私は播く。半夏に咲く一番花いにしえを口に含み花を摘む。

古の人たちが私の周りに集っている。何も言わずただ私を見届けている。

紅花の棘が手を刺す。摘んだ花びらの中に手を埋め、疼く痛みを癒す。紅花を洗うと黄みがかった花弁に赤が宿る。

 

この赤で誰かが染め物をする。その染め物を誰かが身に着ける。古来紅花の赤はそうやって受け継がれてきた。

その赤は無くてはならない赤だったから。

 


1952年山形市生まれ。地元の高校を卒業後、東京農業大学に進む。在学中、ネパール・インド・アフガニスタン等アジア各地を歩く。現在米・野菜・紅花等を息子夫婦と家族4人で営んでいる。23年前から、地元の小学校で食育学習の手伝いをしている。

 

米沢の染色工房「新田」さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山形の紅花栽培システムは、ただいま

世界農業遺産に申請中!

 

 

 

紅花の守人、9/3ポレポレ東中野にて公開

そのあと、全国へ

 

またクラウドファンディング実施中❗️8/6まで

 

 

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