いつも読んでいて、なにより勉強になる岩崎さんのブログを、
いま読んでて思わず泣いた。
ここに出てくる書店員さんの、意志の強い言葉にびっくりして。
・・・を軽蔑してください、と言い切るのに驚いて、うっとなった。
とっても有名な話だけれど、わたしは、
書店員のPOPが売り上げを左右するぐらい重要という話ぐらいしか知らなかったので、
今さらながら、すごい書店員さんがいるものだなーと思った。
ちなみに、この「白い犬とワルツを」のPOP騒動があったのが2001年で、
「本屋大賞」が創設されたのは、2004年なので、
たぶん書店員が認める本、という部分(目利き)に価値を置くきっかけとなったのが、
このPOP事件⁉と言えるだろう。
それで、木下さんという書店員さんのことが気になってぐぐると、こんなのがヒットした。
津田沼駅前「BOOKS昭和堂」、閉店までの舞台裏
ミリオンセラーを生んだ書店員の葛藤とは? - 東洋経済オンライン
後輩だった書店員さんの話によると、木下さんは、相当変わり者だったということがわかる。
爆。
(泣くほど共感したわたしもやはりスジ金入りの変わり者だったのだなという意味で)
ものが爆売れすることを(この場合は本)否定していたように思える。
そういうことか~~。
木下さんが、書店員に向けてPOPについて語ったという言葉はこちら。
〈読者が自分ひとりかもしれないという本にこそPOPを書く〉
〈新しさや部数の大きさでしかものを測れない人を軽蔑してください〉
〈「手書きPOPからベストセラー」は矛盾です〉
きっとまじめに本を愛し、本を評価する目利きの持ち主で、
それこそ、研究者か評論家にでもなれるぐらいの人なのだろう、
けれど、そういう既存の枠を嫌って本屋の書店員さんでいたのかもしれない。
だけど、150万部という大ベストセラーを(期せずして)作り出してしまい、
マスコミにも追いかけられ、ほとほと世間がいやになったのかもしれない。
この話でわたしが思い出すのは、村上春樹さんである。
「ノルウェーの森」が有名だが、その前から人気が出始め、
82年に「羊をめぐる冒険」を発表し、85年に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」も刊行し、
86年からヨーロッパへ移住する。
そこで書いたノルウェー・・・が爆発的ヒットとなり、上下で430万部を記録するわけだが、
村上さんのエッセイを読んでいると、本が売れたこと(売れ過ぎたこと)を、あまり歓迎してない書き方が目立つ。
評論でも否定的な意見も多かったようで、評論家に対しても距離を置く発言が多い。
静かに創作活動をしていたいだけなのに、周りに騒がれてしまい、嫌がってる感じがあるんですよね。
世間というのは、ベストセラーを望み、ベストセラーに群がるものだけれど、
そういうものさしで物事を見たりしない、というのが、作家、芸術家なのだろうと思う。
さて、わたしは、どこを目指しているか、よくわからなくなってきれたけれど、
手書きのPOP、野菜の手づくり、自分で感じたことを言葉にすること、
自分の手で作り出す喜びは共通している。
手書き、手づくり、ハンドメイド、ホームメイド、
わたしのオリジナル、オンリーワン、
そこに共通していあるのは、作り手の「こころ」、「思い」である。
なんでも既製品に、商品化されていく時代だからこそ、「思想」、「理念」、だいじよねって思う。
POPは、店員さんの「目利き」である。
その商品のどこに感動したかを、その人の視点で伝える。
ソムリエであり、キュレーターである。
情報過多の、商品過多の時代だからこそ、キュレーションってだいじよね。
マーケティングって人の消費動向っていうけれど、
それを決めるのは、こころである。
ひとのこころを打つ前に、まず自分のこころに正直に仕事をしていけば、
周りはあとから付いてくる。
どんな業界だろうとかんけーないよね。
ま、早い話、数で測るものさしをわたしが持っていないので、
さっきのキョーレツな言葉にぐっときて、なにか書きたくなった。
ではわたしはどんなのものさしを持っているのか。
それは「感動」ですね。
感動したい。
感動させたい。
野菜つくってても、
いろんなところへ行っても、
人のはなし聞いても、
求めているのはそれだけのように思える。
まずじぶんが感動するか、しないか。
あとのことはそれからだ。
ベジアナ@あゆみ