高知のヤギ牧場、川添健太郎さんがお亡くなりになった。
わたしも数日前、ヤギともの知らせで驚いていたところでしたが、
このブログのアーカイブが閲覧されているようなので、記しておくことにします。
南国市にある川添さんのヤギ牧場を訪ねたのは2回。
1回目は2014年10月、
2回目は、2017年の6月でした。(以下のブログ)
そのほか、山羊サミットなどヤギ関係の会あちこちでお会いしたことがあり、
ヤギ界では有名人。
作曲家をめざして留学していたヨーロッパでヤギチーズに出会い、
農業共済の職員の在職中に、ヤギの飼養を戦略的に始めた。
はじめて間もない頃で、お母さんが手伝っておられたのが印象的だった。
あれから飛躍的にヤギの頭数も、飼料米の面積も拡大し、
地域の耕作放棄されそうな水田を引き受ける担い手となることと、
古くて新しいヤギ文化を結びつけるイノベーションを、高知から起こしている最中であった。
日本一のヤギ牧場になろうとしていた。
2014年に訪ねたときの動画。
まだ自宅の裏の草地に放牧している頃。
このときの言葉で覚えているのは、
川添さんは、ヤギミルクの魅力をこう語ってくれました。
「馴染みのない商品を売るにはふつうストーリーを作らなければいけませんが、
ちょっと昔の日本を知っている人は、ヤギ乳のストーリーを既に持っているんですよね。」
ヤギのお乳は昔から母乳に近いと親しまれてきました。
あれから数年、こうしたヤギというの小さな家畜への再評価がどんどん進んだように思う。
その後、高知大学と連携して、様々なヤギの効果を研究したり、
なんと感染症対策にヤギの初乳成分が効果あると先頃発表された。
知人が送ってくれた高知新聞の記事。
41歳の若さで。
クモ膜下だったという。
ご家族、残された方の無念さはいかばかりかと思う。
謹んで哀悼の意を表します。
ヤギ界に大きな人を失った。
ご冥福をお祈りします。
新しいヤギの時代が始まろうとしているさなかだった。
ヤギ界にとってもかけがえのない大きな損失。
川添ヤギ牧場が引き継がれることを祈るとともに、
ヤギによる地域振興、食料生産、小さな畜産の希望の光を消してはいけないと思う。
川添健太郎さん、ありがとうございました。
ベジアナ・ヤギアナ あゆみ