昨日は雨の中、せたがや体験農園で大根と白菜の間引き仕事。および追肥。
茄子がまだとれて、これでもかーーという実になる力。実力を発揮!
このなすはなつが大豊作であった。
見た目はいいのだが、さすがに固くなってきてあんまりおいしそうじゃないんだけどね。
どうなんだろう。
ピーマンもよくしたもので、小粒にしかならない。
大きく育たない。樹勢の寿命ということだろうか。
植物は時期と力の発揮の仕方を知っている。
そうそう、かいわれ菜。
調べ物していたら、平安時代中期から食べられていたそう。
平安セレブもスプラウトが好きだったとは。
色が薄いから「黄菜」と呼ばれていたらしい。
ちょっとハート♡だよね。
間引く前の大根
3本を1本に間引いたあと。大根。
白菜も大根も1つの穴に3粒ずつ種をまいたので、
そのうち元気な1本を残してあとの2つは間引きする。
この間引き菜がまたやわらかくてほろ苦くてうまい。
間引きって言葉、よくないみたいで、最近はあまり使わない気がする。
つまみ菜って言うらしい。ベビーリーフとか。
あ、そういや昨日買い物ついでに入ったケンタッキーで「間引き」の文字を見たな。
4人席のテーブルのうち2席分に斜めに2枚紙が貼ってあって
「間隔を保つため席を間引きさせていただいております」的な文言だったので、
逆にドキッとした。
間引くってすき間を作ることだ。
ピーマンの花に寄って来たアリ
それはそうと、農園の一角に野菜の枯れた葉や枝など残渣を捨てる大型のコンポストというのか、大きな穴を掘った堆肥場があって、
そこに捨てられたきゅうりの苗がひそかに成長して花を咲かせ、小さな実を着けていた。
これまたきゅうりの実力である。
畑をやってて楽しい発見とか感動ってこういうことだと思う。
ベランダでもゴーヤのこぼれ種からまた芽が出てきているが、
沖縄ではこういうのを「なんくるみーー」って呼ぶそうだ。
(前にも書いたかもしれない)
なんくるないさーの「なんくる」と、「みー」はおそらく「芽」だろう。
沖縄ではソーメンのこともソーミンというし、
ジーマーミ豆腐って、マメのことマミっていうしね。
なんてこともしてないのに生えた芽。
いいよね、なんくるみー。
ヒトが手をかけて畝を作って苗を植え付けて育てても、枯れるときは枯れるのに、
誰も世話をしなくても、引っこ抜いて捨てても、残った苗はまた土に根を張り、花を咲かせ、実までつける。
苗の方は自分のことゴミ捨て場に捨てられたとは思っていないのだろう。
ちょっと根っこがちぎれたり難儀な思いをしたけれど、
あ、ここに土があるやないか。
窒素、リン酸、カリ。
植物にとって大切な3要素がすべてそろっとるやないか、というので成長していくわけである。
場が、条件を満たしているので、力を発揮するステージになるのだ。
至極理にかなっている。
ゴミ問題のことを考えるとき、これは使い物にならないから廃棄、と決めるのは人間だけだなと思う。
自然界では、土にさえ埋めれば、大いなる微生物の力で状態が変わり、次なる命を生み出す。
使い物にならないものなんてこの世にない。
使えないと決める心?意識?考え方?のほうが、この世で最も使えない、ってことだ。
植物は、ああわたしはもう使い物にならない人気のない芸人だからこんなゴミ捨て場にやられたんだなーーなんてやさぐれたりしない。
わあ、なんだここにも窒素リン酸カリみーっけ!といってせっせとそこで養分吸収して、できる仕事するだけだ。
昨日、録画したサワコの朝を見ていたら、ヒロシが出ていた。
ソロキャンプのYouTubeと出した本がヒットして、いま大忙しなんだそうである。
人のいないところで木を切ったり、焚火をしたり、
自由なキャンプを求めるあまり、山まで買ったという。
山を買ってテント張るスペース作ろうと、毎日、毎日刈払い機で草刈りの日々。
つまり開拓である。
売れなくなっていった頃は精神的にもしんどかったそう。
条件に合っていなかったのだ。
今は、キャンプ仕事が多くなり、目下の悩みは、自由で気ままな孤独なキャンプができないという。
やたら高級なお肉屋グルメな料理を作らないといけないという。
自分1人のときはカップラーメンでよかったのに、スポンサーがいたり、取材されたりするとそれができない。
うけた。
雑草魂なんて言葉があるけれど、ほんとに雑草の魂になるのは、なかなかたいへんなことだ。
というわけで、なんくるみーきゅうりの生き方えらいな~ってことと、
ソロキャンプおもしろうそうだな~ってことと、ヒロシの考え方いいなあと思ったという話。
つまみ菜と厚揚げの煮びたし。
こんなんなんぼあってもいいですからね~。
ロゼ。
JA世田谷目黒
畑の力菜園部長
ベジアナ@あゆみ