今年の都市と農村のあり方を占うコラムを年頭に書きました。

 

農村問題を考えるとき、おのずと「レジリエンス」という概念が浮かびます。

コラムでは「負けない強さ」と名付けましたが、一般的には「しなやかな強さ、回復する力、復元力」などと訳されます。

つまり、災害が起きるのは避けられない、だけどそこから立ち直る力、という意味を含みます。

 

政府はこれを「国土強靭化(ナショナルレジリエンス)」と名付けて、基本計画を策定しました。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kokudo_kyoujinka/pdf/kk-gaiyou-h301214.pdf

 

とっても優れたことが書かれてあるのですが、

なにかちょっと現実味に欠ける。

 

農林業をはじめ第1次産業の役割がほとんど盛り込まれていないのである。

おもに国土交通省の事業として考えられています。

 

国土を守るのは、国土交通省じゃないんです。

 

その地域にその地域で、営みが続くことが、最大の防御なんですよね。

 

国境付近の離島で漁業が営まれるのが、最もわかりやすい事例です。

漁船が、その海域を往来することが、いろんな抑止力になるのです。

これをぜんぶ防衛費でまかなうことはできません。

離島の漁業は最大の防衛力なんです。

 

同じように、いま、過疎の農山村の水源が外国資本に売られています。

 

これから人口爆発の地球上でもっとも不足が予想されるのは「水」「水源」なんですね。

食料をつくる源です。

 

中山間地の農業は、大型機械も入れないし、維持が困難、価値がないと見捨てられていく一方で、

外国資本が、豊かな日本の水資源を狙っているのです。

 

別荘建設や、太陽光発電や、

いろんなたくみな方法で忍び寄っています。

 

昨日のテレビ、ケンミンショー最高におもしろかったなー。

農村にスーツ姿の男が歩いていたら、怪しいと思え。危険な人物だ。

 

と、全国の農村、あちこちの村民が共通して恐れている。

 

なぜですかとの問いに、

「太陽光のセールスに来る人」と答えた、農家のじいちゃん。

 

スタジオは爆笑して関していたけれど、これ、ものすごい日本の真実を表していました。

 

業者が大枚をちらつかせて、農山村の奥地に入ってきているのです。

 

こわ~~~。

 

どんなに条件不利地といわれようとも、そこできっちり田植えがされ、見回りがされ、

農産物作る営みが続くことが、最大の「抑止力」です。

 

農山村を守る意味は、食料生産だけではありません。

 

ほんとうの意味で、日本という国の生命線を守っているのです。

 

いま、人間のウィルスで脅かされているけれども、ほんの数か月前までは、

「豚コレラ」という伝染病(海外から持ち込まれ)が、日本中の里山のイノシシに感染し、

養豚農家の農場にも伝染し、何万頭もの豚が殺処分されています。

 

警告は始まっていたのです。

農山村から始まっていたのです。

 

 

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強い農村とは何か。

国は地方創生戦略における東京一極集中の是正策として、

関係人口を掲げている。

若者の田園回帰や定年帰農は、“ふるさと難民”とも称されるが、

そもそも、なぜ人は「ふるさと」を求めるのか。

 

都市には多様な主体の受け皿、居場所がないからである。

農に潜在する力には「包摂」がある。

 

都市と農の補完関係を考えると、農村だけ、都市だけの繁栄はあり得ない。

都市という子を生んだのが農村であるならば、子の帰る場所として、

親は元気に長生きするしかない。

自立できない子に、白いご飯と味噌汁、畳や布団で迎える。

そんな「懐」であり続ければ、子は学んだ技術を、開発したロボットを、

外国の友達を、あらゆる主体と成果を親元へ持ち帰るだろう。

都市と農村は家族なのだ。

 

国連のSDGs(持続可能な開発目標)の17番目は、

「パートナーシップで目標を達成する」である。

気候変動による災害対策においても、多様で分散した生産や、

小さな拠点が求められるが、これはJA、共同組合にしか担えない。

2020東京五輪ホストタウンとして、150以上の国と地域の人々をもてなす自治体は460を超える。

すでに460通りの心の外交が地方から始まっているのだ。

こうしたローカルな友好関係こそ、国にレジリエンス(負けない強さ)をもたらす。