福岡、太宰府、令和のさとへ行ってきましたー!
5/12(日)、「小農学会」が福岡大学であったので、
翌日、足を伸ばして太宰府へ令和詣でにやってきたのです。
西鉄福岡(天神)駅から太宰府駅までは30分。
駅に観光案内所があり、丁寧に教えてくださいます。
令和参りの観光客向けに歩き方のMAPもいただきました!
太宰府長官だった大伴旅人が梅を愛でる歌会を開き、
その歌を集めた万葉集の序文が
「初春の令月、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き・・・」だったという話はニュースで聞いていましたが、
肝心なのは、その梅が咲いていた大伴旅人邸は太宰府のどこにあるのか!?
太宰府といえば、太宰府天満宮だと勝手に思い込んでいたのですが、
大伴旅人の邸宅跡は、太宰府天満宮から2キロ離れた大宰府政庁跡のそばにある坂本八幡宮だとされています。(諸説あるそう)
というわけでバスで大宰府政庁跡へ〜。
(まほろば号というコミュニティバスと普通の市バスの両方出ているので早く来た方に乗ればよいと観光案内所の方に教えてもらい、ちょうど5分後に出るという市バスに乗りました。)
2キロなので歩けなくはないですが、到着してからがっつり散策が始まるのでまずはバスがオススメ〜。
大宰府政庁跡のバス停で降ります。
大宰府政庁跡という遺跡広場を抜けた左奥に坂本天満宮はあります。(バス停から700m)
「大宰府」の規模は平城京、平安京に次ぐ大きなもので、万葉集には「遠の朝廷」と詠まれている。
朝鮮半島に最も隣接したこの地は、古来より大陸の政治・文化・宗教、人などあらゆるものが伝わってきた。
だそうです〜。
奈良、京都の「都」に次ぐ国の中枢だったんですねー。
しかし、考えると、それから1200〜1300年の歴史を経て、いままたアジアの時代の再来ですよね。
大宰府は、じーーーーと1200年間、この再びの繁栄を待っていたのでしょうか〜。
それでいまちょうど機が熟したから「令和」の形でこの地にスポットが当たるように仕組まれたとしか思えない〜。
歴史ロマン〜!
遺跡の発掘が今も続いているのかな〜〜〜
と思ったら〜〜〜
草取り清掃作業のでしたー。
でもクローバーはちゃんと残してほかの雑草だけとっているようなんですよね。
しかも遠目に見ると、クローバーの草原の上にみんなそれぞれに座ってピクニックをしているようで、なんとも優雅に見えました〜。
(シルバー人材センターでこんなバイトなら悪くないな〜〜。)
ともあれ、大宰府政庁跡で記念写真。
悠久の気分〜〜〜
ちなみに歴史的なときは「大宰府」、
地名、駅名や天満宮は、「太宰府」と表記が違います。
ちなみに、本来は大宰府展示館で、梅の宴のジオラマの再現などを見たかったのですが、
月曜閉館のため見られませんでしたーー。
気を取り直して、坂本八幡宮へ。
太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首
「初春の令月、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き・・・」が生まれたそうです。
天皇陛下御即位
令和
新しい御代(みよ)をお祝いしましょう
竹筒に令和の文字。
こういうの作る器用な人がいるんですね〜。
境内に大伴旅人さんの歌碑がありました。
わが岡に さ男鹿来鳴く 初萩の花嬬問ひに 来鳴くさ男鹿
梅の宴は万葉集の中でも華やかな部分とされますが、
これは大伴旅人のちょっと淋しい歌です
わが岡に さ男鹿来鳴く初萩の花嬬問ひに 来鳴くさ男鹿
(男鹿が来て鳴いている 妻を求める声のさびしさよ)
太宰府へ赴任後妻を亡くされたそうで淋しかったんですね
説明書きの後半に、大伴旅人の邸跡とされていると書かれてあります。