2019年4月1日、新元号が「令和」(れいわ)に決定しましたね。
聞き慣れない言葉ですが、そもそも聞き慣れた熟語は元号に採用されませんから、
思えば当然のこと。「平成」も最初はピンと来ませんでしたよね〜。
さて、「令和」。
出典は「万葉集」巻五です。
元号の典拠はこれまで漢詩・漢文からとるのが慣例だったの対し、初めて、日本の古典からの出典になりました。
万葉集とは、7世紀後半から8世紀後半(759年か)にかけて編まれた
日本に現存する最古の和歌集です。
日本の書物、和歌集からの出典とは、画期的であり前代未聞のこと!
国語や文学、皇室関係者にとっては驚くべきことで、大きな意味があるのです。
新しい時代の元号は、日本の古典からとるのだ!
わが国はわが国らしくいくのだ〜!という決意表明にもとれます。
先ほど菅官房長官の発表の後、正午ごろ開かれた安倍総理の談話です。
(箇条書き)
「万葉集」は、貴族だけでなく防人から農民まで幅広い人々の歌が収められ、
国の豊かな文化が表れています。
香り高き文化、四季折々の自然のある日本らしさ。
急速な高齢化が進み、変わるべきは変わっていかなければなりません。
平成ほど改革が叫ばれた時代はなかった。
若い世代は変わることを柔軟に前向きにとらえている。
本日から働き方改革がはじまります。70年ぶりの改革。
次の世代の若者たちが夢や希望に向かって活躍できる時代、一億総活躍社会、
明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせる時代をつくりたい
記者からの質問には「世界にひとつだけの花」の引用もありました。
一億総活躍を引き合いに出し、多様な個性が花を咲かせる、明るい時代を表現しているようです。
「令」という漢字の読み方は
音読み=レイ・リョウ
訓読み=いいつけ・おさ・よい
意味は
①いいつけ。命じる。②きまり。おきて。 ③おさ。長官
④よい。りっぱな。 ⑤他人の親族に対する敬称「令室」「令嬢」
など様々な意味があり、とりわけ④の「よい、りっぱな」や、⑤の「敬称」であるという部分が大事です。
典拠になった万葉集の「序」の一節は、
「于レ時初春令月 気淑風和」
「初春の令月、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」
令月=めでたい月。すべて物事を行なうのによい月。
という意味ですから、
これを現代語訳すると、
「初春のめでたい月のもと、気候よく風やわらぎ、梅はお化粧の白粉のように花開き、蘭はたもとの飾り玉に香り立つ」
という感じでしょうか。
おめでたい吉日の出来事であり、しかも日本らしい情景です。
そもそもこの文章は、万葉集の和歌そのものではなく、「序文」です。
万葉集巻五「太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首」
太宰府長官の家に高官が集まった宴で詠んだ梅の花の和歌32首の詞書のように解説した
「序文」ということです。
太宰府なので、福岡で詠まれたお花見の宴であり歌会だったということ。
ここにひとつ、地方の時代をよみ取ることができます。(と感じるのわたしだけでしょうか〜。)そして、古くから大陸との交流が盛んだった土地でもあります。
また、万葉集の時代の花見は桜(36首)より、梅(98首)が主流だったというのはよく知られていますね。
この序文には、続きがありました。
元の文はこちら。
(万葉の当時は詠むときは、送りがなをつけていましたが記述はすべて漢字〜)
梅花謌卅二首并序
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。
于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。
庭舞新蝶、空歸故鴈。
於是盖天坐地、促膝飛觴。
忘言一室之裏、開衿煙霞之外。
淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。
詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。
この読み下し文は、
太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首、また序
天平二年正月十三日に、帥の老の宅に萃(あつ)まりて、宴會を申く。
時、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、
蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。
加以(しかのみにあらず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて盖(きぬがさ)を傾け、
夕の岫(くき)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(こ)められて林に迷ふ。
庭には新蝶舞ひ、空には故鴈歸る。於是、天を盖(きぬがさ)とし地を坐とし、
膝を促け觴(さかずき)を飛ばす。
言を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開く。
淡然と自ら放(ほしきさま)にし、快然と自ら足る。
若し翰苑(かんゑん)に非ずは、何を以ちて情を壚(の)べむ。
詩に落梅の篇を紀(しる)す。
古(いにしへ)と今とそれ何そ異ならむ。
宜しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。
注目すべきは「最後の3行」です。
「詩」とは「漢詩」のことであり、「短詠」とは「短歌を詠む」ことです。
(短歌=和歌は、漢詩に比べて短いので短歌と呼ばれたのですね〜。
しかも「漢の詩」ではなく、日本の(和の)歌だという意味で「和歌」です。)
現代語訳(さらに意訳)すると、
https://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/4fd39531a03c8b8ae40e6814197a2121
漢詩に落梅の詩がありますね。
漢詩が作られた昔と和歌の今とで何が違うでしょう。
ちょうどよい庭の梅を詠んで、いささかに大和の歌を作ろうではありませんか。
すごいですねー!
漢詩に頼るのではなくこれからは、日本語で日本独自の歌をつくろう!
日本のやり方で日本のよさを称えようじゃないか〜!
感動的なメッセージであり、頼もしい発言です。
まさに、今回の元号が、漢詩ではなく日本の古典 万葉集からとったこととピタリと重なります。
万葉の時代(=奈良時代(710年)前後の7〜8世紀)
日本独自の短歌=「和歌」が生まれる前、教養のある貴族たちは、
中国にならって「漢詩」を詠んでいたのですね。
しかし、時代の変遷とともに日本らしい「和歌」が生まれ、貴族だけでなく庶民にも広がり、
幅広く全国の人が歌を詠むようになり、それをまとめたのがこの万葉集なのです。
漢詩を否定するということではなく、漢詩もいいが、それはそれとして、
日本という和の国らしい新しい表現のスタイルを自ら創造しよう〜
「いささかに」=ちょっと、気軽にね。と言っているようです)
という、今で言うなら「日本語ラップ運動」の起りのようなものですね。
後から聞くと、
中国の古典が3案、
日本の古典が3案あったという。
6案の中から日本の古典、しかも万葉集からとられたということです。
万葉集。
貴族から農民まであらゆる日本の人々が詠んだ4500首。
和歌、短歌の時代の再来も予感させますねー。
また、「令和」の和は、和歌の「和」、平和の「和」ですが、
英語では、harmony。
和む、調和、和する、共生も同じharmonyになります。
人口減少になり、外国人労働者やインバウンドも含めて「共生」が欠かせない時代です。
diversity(多様性)の和であり、和歌の和なのです。
日本の元号が「令和」に決まったニュースが、海外に発信されたとき、どう伝わるでしょう。
美しいハーモニー、うるわしいハーモニーになるのではないでしょうか。
というわけで、わかったようなわからないような考察ですが、自分なりに考えてみました。
「令和」という新しい時代が始まります。
「令」と「和」、漢字の印象だけではなく、その出典「万葉集」や、
現代語訳、英訳と重ね合わせて考えると、そこに込められた思いが見えてくるかもしれません。
昭和、平成が終わり、令和の時代の幕開け。
なにより美しくハーモニーを奏でる時代にするのは私達一人ひとりの和!みんなの和!ですよね〜。
あれ〜なんか真面目になっちゃったので、最後に
新時代の令和ギャグ、考えてみました。
昭和ドーナツのド〜令和レモンのレ〜
そんなん言うてたら、和牛の川西にツッコまれるがな。
もう〜令和〜ッ!
ベジアナ・やっぱり昭和アナあゆみ