鶴岡へ仕事だったので、前日入りして訪ねてみたいところがあった。

豪雪地帯、田麦俣の「多層民家」である。


鶴岡市のHPで見つけて、なんと美しい茅葺き屋根だろうと思った。

雪国の農村文化を知ることにもなるだろう。

https://www.tsuruokakanko.com/cate/p0136.html

 

多層民家はここに2軒、並んで佇んでいる。

 

 

 

 

赤い車は、庄内空港で借りたレンタカーです。

 

行く途中、ナビが通行止めだと言い出したので、役場に電話で確認すると、

冬場も開館し、道路も問題ないという。

「まず、手前のお宅(管理人の住まい)で、チケットを購入してください」と教わった。

 

 

集落の規模を物語る小さな郵便ポスト。

 

左サイドの表示を確認すると、一日一回は集めに来ているようだ。

 

 

 

管理人さんは、ばあちゃんであった。

「民宿かやぶき屋」として、春から秋までは営業しているらしい。

http://www013.upp.so-net.ne.jp/gauss/minka01.htm

 

一人300円ですと言われて払い、チケットにはんこを押してもらった。

なかなかの佇まいだったので、写真を撮らせてくださいと言うと、

恥ずかしそうに少し微笑んでくれた。

隣の多層民家の入り口に、電気のスイッチがあるから、どうぞ点けて見学してください、とのこと。

あとで調べると、御年94歳!

なんとフェイスブックページがあった!

https://www.facebook.com/tamugimata/

 

 

こちらが訪ねたかった多層民家「旧遠藤家住宅」である。

冬場も開館しているとはいえ、実際訪ねてくる観光客は稀だろう。

圧雪はしてあるので、中に進むことができた。

 

 

このコモというのか、ゴザのような雪囲い(稲わらではなく細い煤竹のような素材)をめくると、中に入ることができる。

 

 

 

玄関の内側

 

 

ということらしい。

 

 

 

はーい。

 

 

 

わらじやわら靴

 

 

農作業の背負子とかいろいろ

 

 

 

 

3階建ての屋根の内側

 

他にも農機具や馬ぞりなどいろんな道具があったが、電気はつけたもののうす暗いのであまりいい写真は撮れない

 

 

 

手ぼうきの名前は「なで」であるなど、丁寧に名前を書いてあり、

昔の暮らしを知る上で貴重な資料である。

 

 

土間のことは、

 

 

「にわ」と呼んでいたそうだ。

どれも説明書きが丁寧である。

 

 

薪を積んだ壁に、かっこいい写真のポスターが貼ってあった

 

 

(うす暗いのでの手ブレでピンぼけですが)

岡本太郎さんが、1962年にやってきて撮影したと書かれてある。

岡本太郎さんといえば、秋田のなまはげや縄文文化、沖縄文化を”発見”した功績でも知られるが、昭和37年にここを訪ねていたということに改めて驚かされた。


市のHPによると、この多層民家は、昭和49(1974)年4月、山形県有形文化財に指定されました。とある。

それより、12年も前に岡本太郎はこの多層民家の価値を見いだしていたのだ。

https://www.tsuruokakanko.com/cate/p0136.html

 

 

 

 

太郎さんの足跡をたどれたのかと思うとわたしは嬉しくなった。

 

2019年2月27日、太郎さんに遅れること55年、わたしもやっと多層民家に辿り着きました。

 

雪に覆われた茅葺き屋根は、それはそれでたくましかった。

 

 

 

こちらは、管理人のばあちゃんの住まい。

 

 

こっちは、文化財になっている旧遠藤家住宅。

中に囲炉裏は2つ(「台所と居間」に。それぞれ「でえどこ、おまえ」と呼ぶらしい)

あったが、人の営みがないので屋根雪が溶けないのだった。

 

 

 

鶴岡市平野部の雪はほとんど溶けてなかったが、

湯殿山へ向かう田麦俣はまだ雪深い。

 

 

 

こんこんと流れる雪解け水の滝。

豪雪地帯だからこそ水に恵まれ、農業が営める証である。

 

 

 

田麦俣には2軒の多層民家が静かに並んで建っている。

 

雪の中にしっかり根を下ろして隣の家を守るように暮らしている。

管理人のばあちゃんが住んでいる(左の)屋根雪のない多層民家はまるで、

ばあちゃんそのものであった。

 

 

 

翌日は、JA庄内たがわ「総代研修会」という、地域農業のリーダー400人ぐらいが集まる大きな大会だったので、

「昨日は田麦俣の多層民家に行ってきました。行ったことある人いますか?」と聞くと、

手を挙げてくれたのはほんのわずかで、ほとんどの人が行っていないとわかった。

(県の文化財なので知ってはいるだろうが、農家がわざわざ田舎の古民家を訪ねたいとは思わない気持ちも大いにわかる気はするが。。)

正直、冬場ということもあるのか、民家内部の展示や掃除は人の管理が行き届いている状態ではなかったけれど、庄内地域で農業を続けるということは、こうした江戸時代から続く農村文化を知っておいて、損にはならないとわたしは思った。

 

先祖はどのようにしてこの雪国で暮らしてきたのか。

田を耕し、米を作ってきたのか。

稲わらでわらじやわら靴や蓑笠を編んできたのか。

 

これからの農家は、自分たちの作るコメはどこから来たのか?どこへ行くのか?

作るとき、そういうことを考えるのと考えないのとでは、いずれ違いが出てくる。
農家 は“物”ではなく“物語”を作る時代だというような話をした。

 

 

その夜、宿でたまたま読んだ新聞、荘内日報によると、

庄内地域の米の作況指数は98で、

今後のテーマに「気象に左右されない米づくり」を掲げていた。

 

翌日、JA庄内たがわの黒井組合長に伺うと、

今期は気象災害(渇水、豪雨、高温)で、平野部の稲は大きなダメージを受けたが、

中山間地の稲は比較的ダメージが少なかったという話があり、衝撃を受けた。

 

 

ということは、平野部の大区画・大規模農業だけではなく、中山間地でも、あちこちで多様に生産することが庄内の強みになるということではないか。

一極集中より多様性がしなやかで強いのだ。

 

庄内はまさに伝統野菜の息づく地域。

多様な種を受け継いできたからこそ、人々は生きてこられた。

食べものも、人も、性別も、人種も、生き物も、多様性が豊かさを育んできた。

山は里を、里は山を。

 

山深い集落に息づき、歴史をいまに伝える民家やその暮らしを尊重することをやめてしまったら、日本人は一体どこへ行くのだろう。

 

 

ま、そんなわけで、多層民家に行ってきました。

 

 

 

ベジアナ・かやぶきアナ・あゆみ