真っ暗闇の世界を体験してきました。

 

 

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

 

 

直訳すると、「暗闇の中の対話」です。

 

 

 

 

 光が遮断された真っ暗な中を数人がチームとなって歩き、ゴールまでたどりつく体験型施設というのでしょうか。

お化け屋敷のようなエンタテインメントととらえることもできるし、暗闇で人は何を失い、何を得るのかを知る啓発の場だと考えることもできます。 

 

 

日本では1999年に東京で初めて開催されたあと、 東京に常設ができ(大阪では定期開催)、すでに19万人が体験しているそうです。 

 

それがこの8月末、東京(外苑前)会場が閉鎖されることになり、 作品として思い出を残そうと、 クリエイターを対象に無料体験プレビューの参加者を募集しているのを知りました。

 

 「暗闇での対話」とはなにか。 

 

その未知なる暗闇を経験してみた〜〜い。 

文章やエッセイとしてならわたしも形にすることはできそう〜と、応募したらラッキーなことに当選したのです。

 

 

 

 

 

7月の東京。

ある灼熱の昼間、暗闇の世界へ、旅のはじまりです。 

 

 

 

 

集ったのは、わたしを含めて女性5人、男性3人。

8人一グループで、旅の時間は90分。

 

 

 白杖(はくじょう)を持って歩くので、持ち物はすべてコインロッカーに預けます。 

 

さあいよいよ暗闇に入るというとき、係の人はこう言いました。

 

 

 

 

 

「目で見ることを諦めてください。」

 

 

 

 

 

その言葉にはなにか重みがありました。

 

 

 

 

 

 

 

薄暗がりの小部屋(その1)ガイドしてくれる人

 

 

 

ガイドさんがいました。

名前は「ひやまっち(ひやまさん)」。 

30代か40手前ぐらいでしょうか。

目の見えない男性です。

 

 

 

 

その人に会ってわたしはようやく2つのことを理解しました。

 

 

 

今からこの人達の世界に行くんだ。

 

 

 

 

そして、 その世界においては、この人達がリードしてくれるんだ。 

 

 

 

 

 

全員が白杖を1本ずつ手に取ります。 

自分の胸ぐらいにくる高さがちょうどいいと言われ、 それぞれ長さの違う杖を選びました。(これが後にちょっとしたゲームを生みます) 

 

 

さらにもう一段、暗い次の部屋へ

 

 

 

薄暗がりの小部屋(その2)自己紹介

 

 

 

 

輪になって、全員が簡単に自己紹介をします。 

 

なんと8人のうち、リピーターが3人いました。 

特に男性で5回目の人、3回目の人、また女性でも2回目の人がいました。 

 

慣れた人は名乗るとき、覚えやすいニックネームを言っていましたが、 

わたしはとりあえず「あゆみです」と名乗り、「もう感動しています」と付け加えました。 

知らない世界に行くドキドキや興奮を通り越して、すでに感極まってじぃぃ〜〜んとしていたのです。 

 

 

 

 

いよいよ、ほんとうの暗闇へ。

 

 

 

まず、足がすっすと前へ出せません。

白杖でコンコン確認するとはいえ見えない不安から擦り足になり、

わたしは行列の一番最後になっていました。 

 

 

 

前の人の声を頼りに進みます。

みんな床がどうだとか壁がなにだとか、なにかに触れるたびに歓声をあげるので、

なんとなく想像がつくので助かります。

わたしも近くにいそうな人と、「○○ありますね」「○○ですね」と自然と声をかけ合っていました。

 

ひやまっちが言いました。 

 

 

「○○があります。これを越えていきましょう」 

 

 

その障害物(関門)の音が聞こえます。 

最後尾だったはずのわたしはなぜか、一番そばにいたようです。

 

 

「あゆみさんから、どうぞ」。 

 

 

おそるおそる足を踏み出します。

靴のウラの感覚に集中し、

白杖でつつきながらどうにか向こう側へたどりつきました。

 

 

 

 

リピーターの人はたどり着くと、 

「まさる(仮)、着きました〜!」と知らせてくれるので、 誰が終えたかがわかります。 

全員がたどり着いたとわかった時わたしは、思わず

 

「やったー!おめでとう〜」と暗闇の中にいるみんなに声をかけました。 

 

慣れてきていつもの自分が出たのと同時に、

 

これはミッションなんだなと感じたからです。 

 

 

 

 

 

チームになって8人全員がやりきる。 

 

 

 

 

 

 

そういう関門がこれからいくつも用意されているのでしょう。

 

 

 

 

 

 

ちょっと座って休憩しましょうと、みんなで「とある家」にお邪魔することになりました。 

 

 

 

部屋に上がるのか…。

不安がよぎります。

 

 

 

靴を脱いだら、今度はくのが大変だなあ。 

 

 

 

 

 

 

部屋にはいくつかの家具や道具がありました。

 

みんなで手に触れたものを声を出して確かめあい、 暗闇に隠されたおもちゃを見つけていく宝探しのようでした。 

 

インテリアの印象から、「おばあちゃんの家みたい〜」とみんなでささやきあっていると、 いよいよ移動を促されます。 

 

 

 

 

 

ミッション「靴探し」 。

 

 

 

 

 

自分が靴を脱いであがった位置の検討がつきません。 

 

 

縁側のそばにいたわたしは、 足元にあった靴を手探りで触りました。

 

 

 

自分のではありません。

 

 

 

隣にあった靴も〜、自分のものではありません。

 

 

困った…。

 

 

 

早く自分の靴を見付けて、ここを立たないと後ろで人が待っています。

 

 

 

もう一度、足元にある靴を触ってみました。

 

 

 

 

太いベルトが2本あり、おそらく男性のサンダルのようです。 

 

 

「なんか、男性のサンダルみたいな、太いベルトが2本あります」と、声を上げてみました。 

 

するとすぐ後ろにいた男性が、「あ、ぼくのです。」と言い、その人に渡すことができました。 

 

さらに、もう一足、「男性のスニーカーで〜」といいかけたら、 「あ、ぼくです。」と、 これまた持ち主が見つかりました。

 

 

 そうこうしているうちに、わたしの隣にいた女性がわたしのスニーカーを見つけてくれて、手渡ししてくれました。 

 

 

なるほど。

 

意外に難なく、ミッション「靴探し」クリアです。 

 

 

 

 

するとこんどはひやまっちが、

 

 

「では、さっきみんなから預かった白杖をまとめてお返しします。 はい、あゆみさんお願いします」。 

 

 

なんと8本全部わたしに渡されたのです。

 

 

 

 

 

 

ミッション「8本の杖を元の持ち主」へ。

 

 

 

 

 

 

 「えええーーー。8本ともですか、えええーーー」

 

 

 

思わず声をあげながら8本を両手でにぎりしめると、1本だけ極端に短い白杖がありました。

 

 

 

 「あー!1本とても短いのがあります」 

 

 

 

(おそらく)小柄な女性が申し出てくれました。 

 

 

「その次に短いのが3本あります」 (他の女性3人の分がみつかり、) 

 

 

 

最後に、「ほとんど同じ長さ4本です」

 

 男性は3人なのに長いのが4本あったのは、 

実はわたしは、若干長めの杖を選んでいたのを自覚していたのでした。

 

 

 

 

 そんなわけでミッション「8本の杖」達成です。 

 

 

 

 

声をかけあえば解決できる。 

 

 

 

 

 

 

見えない中で自分一人の靴だけを探すのではなく、 手にした靴がどんな様子であるかを人に「発信する」ことで、

おのずと、答えは絞られて行くのでした。 

 

 

 

なんてうまいことできているんだろう。

 

 

 

そんなふうにして、旅の後半は、「カフェ」で好きな飲み物を注文し、わたしは生まれて初めて手探りでビールをグラスにつぎました

(意外にこぼれないようできるものです)

 

 カリッとした感触が懐かしい魚の形をしたスナック菓子に、隣にいたA子ちゃんが「おっ○っ○!」と叫び、笑いがおきました。

 

 

おしゃべりの時間では、 初めてあった人同士なのに、暗闇の中はなぜか人見知りや躊躇がなく、ダイアログは弾みました。

仕事や趣味で、演劇や音楽に関わっている人が3人いて、 わたしもアナウンサーだということを含めれば、やはり声や音、五感での表現について考えている人達の関心を引くのでしょう。 

 

 

90分の暗闇旅。 

 

 

 

まさに「旅」と呼ぶにふさわしく、8人の旅の仲間とともに、明るい世界に帰って来た時は寂しささえ感じました。

 

 

 この一体感はなんだろう? 

 

 

 

この文章を読み返して気づいたことがあります。

 

 

 

 後半、「みんなが」「みんなで」という言葉がやたら多くなっているのです。

 はじめは「わたしは」「わたしが」ばかりだったのに。

 

 

 

 

 暗闇での対話とは、文字通り、手探りです。

 

 それゆえに、相手を知ろう、一緒に進もう、みんなで次へ行こうするという連帯感が生まれたのでした。

 

 

 

 

 

 そもそも、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」とは? 

 

 

 

1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケさんの発案によって生まれました。

 その5年前、ハイネッケさんは、ドイツのラジオ局で働いていて、上司から視覚障害者の雇用にあたって、教育担当を任されたのがはじまりだそうです。

 

 視覚障害者のマティアスさんがあまりに「普通」に行動するのを見て、衝撃を受け、同時にそれまで障がい者は何もできないと決めつけていた自分を恥じたそうです。 

 

そこから「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」なるものが誕生し、

これまで世界39カ国以上で開催され、800万人を超える人々が体験しました。

アテンド、ファシリテーターとして、何千人もの視覚障がい者を雇用してきました。

 

 このプログラムのおもしろいのは、「暗闇の見せ方」です。

 

単なる障がい者体験に止まらない、ソーシャルエンターテイメントなのです。 

 

 

ハイネッケさんは、「暗闇を売るビジネス」だと表現しています。

 

 お化け屋敷が恐怖を売り物にしているのだとしたら、 

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、まさに暗闇を売り物にしています。

 

 

 ただ、暗闇の体験から何をつかむのか?

 

 

 それは受け手の器が試されています。 

 

 

内なる旅、インナージャーニーと呼べるかもしれません。

 

 

 

 

暗闇が好きになった

暗闇から戻るとき淋しいと思った

暗闇にいるとおしゃべりしたくなった

仲間意識めばえた

声かけ合っていけば解決できると思った

体験を終えて感想をアンケート用紙に走り書きしているうちに、ふと、

天国と地獄の長い箸」という寓話を思い出しました。

 

 

 天国での食事風景。 

 

テーブルの上に豪華なごちそうが並んでいます。

 人々が長〜〜〜いお箸(1m以上ありそう)を使って、テーブルの向こう側の相手に食べさせています。

ちょっと不思議だけど、微笑ましい光景です。

 

 一方、地獄での食事風景。

 

テーブルの上の豪華なごちそうと、長〜〜〜いお箸は、天国とまったく同じです。 

ただ人々は、我先にごちそうを食べようとして、でも長過ぎて箸先が自分の口に届かず、周りにぶつけたり、ぶつけられた人は怒り出し、あちこちで喧嘩がはじまります。

長い箸は、凶器になっていました。

なんて残念な光景なのでしょう。

 

 

与えられた物や環境は実はまったく同じなのに(あるいは大差ないのに)、それを利用する側の心で、そこは天国にも、地獄にもなる。

 

わたしたちは実はみんな、ほとんどおなじ長い箸を持っている。

 

そりゃあちょっと曲がってたり、傷んでいたり、多少のキズや癖はあるかもしれません。

 

 

だけど、そのわずかな差異や不足を憂えるよりも、使い道を考える知恵と工夫は、間違いなく わたしたちに与えられた「自由」です。

 

 せっかく与えられた「自由」を、わたしたちはそもそも、どこまで謳歌できていたか。

 

暗闇で(視覚という感覚を奪われたことで)、逆に気づいたのは、 

別の機能や余地がどれほどたくさんあったことか、ということでした。 

 

 

暗闇とは、「視覚以外のものを見せる装置」なのかもしれません。

 

 

 ダイアログ・イン・ザ・ダークでわたしが見たものは、

「まだまだ状況は、好転させられる」という希望です。

 暗闇にお礼を言いたくなりました。

 

 

 

暗闇旅の仲間とひやまっち

暗闇を知ってから見た外の景色は違っていました。

 

 

 

ダイアログ・イン・ザ・ダークの会場

代表 金井真介さんの言葉。

「静かに社会を変えて行くプラットフォーム」

 

 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(暗闇の中の対話)」は8/31までです。

 

 「ダイアログ・イン・サイレンス(静けさの中の対話)」が8/1から8/20まで新宿で開催されます。

 

 

暗闇ありがとう。 ベジアナ@あゆ