先週の熊本の旅で見てきた、熊本城について書いておかなくては。
石垣が崩れているのを間近に見たときはやはり、う、となり、写真のアップだけでは伝えられないと思って今日に至りました。
熊本城
日本3名城のひとつで、加藤清正さんが1601年から7年の歳月をかけて築城しました。いくつもの櫓は国の重要文化財に指定されています。
路面電車を「熊本城・市役所前駅」で降りて一番近いのは、「須戸口門」です。
だからわたしは最初、須戸口門に行ったのでした。
が、立ち入り禁止になっていました。
係の人が、他の門への行き方を丁寧に教えてくださいました。
ただし、城の周囲は5.3kmあり、外周で別の入り口まで歩くとなかなかの距離です。
特にこの日5/26は真夏日で、
須戸口門から櫨方門(はぜかたもん)まで、まず360m進みます。
これが櫨方門(はぜかたもん)。
そばに加藤清正像があります。
しかし、この門も閉鎖されていて、フェンス越しに眺めるだけです。
ゴポッっと内側からすっぽりと石垣が崩れていました。
熊本城(天守閣)の見えるところへ行くには、
桜の馬場 城彩苑という歴史ショッピングモールを抜けて…
やはりトマトが名産なのだな…
さらに、
二の丸駐車場を超えて行くしか今は(5/26現在)ルートがありません。
おそらく、1キロ以上、回り込んで歩いたと思います。
なにせ大きくて広い熊本城には櫓・城門・塀が13棟あり、ところどころ崩れているのが見えます。
ただ写真を撮ろうとすると、初夏の新緑が生い茂って、まるでその姿を覆い隠しているようでした。
ここだけでなく他でも、崩れた様子の手前の木がうっそうと繁っていました。
やはり傷ついた姿を見せたくはないのかもしれない。
あるいは敵から身を守るための樹木の配置なのかもしれない。
緑が助けてくれている。なんてことを考えながら、二の丸広場をめざして歩きます。
二の丸広場からようやく本丸・天守閣を望みます。
おそらくこれが戊亥櫓でしょうか。
フェンスで規制されて、間にはお堀もあり、それほど近くにはいけませんでした。
平日だったので多くはなかったけれど、わたしのような旅行客もいました。
歩くのが大変な人には桜の馬場 城彩苑(歴史ショッピングモール)入り口から二の丸広場までシャトルバスもあります。(距離にすると1キロちょっとだと思いますが、往復すると確かに多少あります)
遠くに見た熊本城は、空も、芝生も、石垣も、静かでした。
チャップリンが遺したこんな言葉があります。
「アップは悲劇である。
ロングは喜劇である。」
映画監督でもあったチャップリンのカメラワークについての言葉ですが、
いろんな意味にとらえることができます。
なにごとも目の前で起きたことは悲劇であるけれども、
遠景に(俯瞰)すれば、悲しみだけとは限らない。
俯瞰には、距離の俯瞰と、時間の俯瞰があるかもしれません。
今は悲しいけれども、長い目の視点を持つことも忘れないように。
傷ついた姿は熊本城さん本人も決して嬉しくはないわけで、見るのはかわいそうな気もしましたが、
せっかく訪ねたのだから、見ておくのが旅人らしいだろうと私は思いました。
観光という字は、光を観ると書きます。
今の姿に将来の光を観ることも、外から訪ねていく者として意味があるかもしれません。
それから午後に熊本駅からJRで川尻まで行って約束していた人を訪ねて、
夕方また熊本城へ戻って来て「熊本城温泉 城の湯」へ行きました。
それなりに年季の入った温泉で、地元に愛されている感じでした。
真夏日の温泉、サイコーーにゆったりいいお湯でした。
その夜、お会いした地元の人(那須さんです)に熊本城を見てきた話をすると、
テレビでニュースは見ても自分では「よう見きらん」と話していました。
地元の人は、熊本城に対する思い入れが何百倍も違うので、確かにその通りだと思いました。
熊本旅の初日に見た熊本城のことを書くのが遅くなった理由は、今回わは熊本で知り合いに何人もお会いしたので、会った人との会話が、私にとっては歴史的建造物よりも重要だったからでした。
(出張のついでに知り合いを訪ねたり、延泊したので、いわゆる旅ではありませんが)
いずれにせよ、現地に行って話を聞いたり、この目で見ることに勝るものはありません。
1泊2日の間で、深夜だったか、小さな揺れを一度感じましたし、
ホテルの部屋は9階でしたが、エレベーターホールに「地震があるとエレベーターが停止するためなるべく階段を使ってください」という貼り紙もありました。
いま誰もが熊本へ旅するのがよいとは言えませんが、私は行って、見て、本当によかったです。
2016/5/26
というわけでわたしが見て来た熊本城の報告は以上です。
いつか近い将来、復興再生した様子をまた訪ねて報告しますからね。
ベジアナ。