東京@ブラミルクの会でした。
東京近郊に実は昭和初期までたくさん牧場がありました。
(芥川龍之介の父は新宿にあった牧場長でした!)
大宝律令の700年代から「牛の乳」はこの国の特権階級の贅沢美食であり、国を挙げて乳を絞り、「蘇」(乳製品の固形化)を作ってきた史実がありました。
ブラミルクは、ミルク1万年の会が主催。
人とミルクの歴史はすでに1万年以上になるとうことから。
和仁先生による講演「古代日本の乳文化」
食文化に関わる人はご存知の「蘇」や「醍醐」はいずれも乳製品。
奈良時代にはあった乳製品の文化は一度途絶え、幕末に再びはじまるまで謎のミルク空白期間があります。
そのわけとは…?
どうも稲作と酪農の共存が(機械のない)当時は成立しなかったのではないか。
今は機械が導入され、地域が分担され、農業の内容も細分化され、酪農と稲作は共存できていますけどもね、という説でした。
まずは大隈重信さんの雉子橋邸宅跡
中央畜産会の岩東さんと~
後ろに写るのは、矢澤先生と前田さんです~。
日本農業新聞 田宮編集長~
農水省畜産部ミルク女子も!
雉子橋野馬方役所跡(お厩・雉子橋帝室御料牛乳搾取所) (千代田区一つ橋 1 丁目)
1863(文久 3)年、嶺岡牧より母仔牛を連れてきて「白牛酪」を作った。
幕末から始まる乳文化を明治政府に渡し東京の起点になりました。
現在役所跡の石垣が現存して います。
雉子橋
皇居のお堀端の花がきれいでした。花の名前は聞かないでください~
神崎の牛牧とは、
701(大宝 1)年、官営の牛牧が設置され、武蔵の国として古代乳製品「蘇」を朝廷に 献上しました。
古くから、この一帯は牛を飼育していため「牛込」の呼称の由 来になっています。
明治期に入り 14 牧場で 449 頭の牛が飼われ 152 kℓの牛乳生産の 記録があります。
(ここでわたしは一旦中抜けしまして全部参加できませんでしたが~)
高田牧舎です。
高田牧舎は 1905(明治 38)年ミルクホールとして創業。
初代店主 藤田源太郎さんが高田牧舎の息子であったのが由来。
4 代目 藤田朋紀さんが往時を偲ぶ写真を紹介してくださいました。
和やかな懇親会になりました~。
しかしみなさん、よく歩かれました。
1万歩どころから1万6千歩を超えたという話も~~。
自分の足で歩くと、知識も身になりますねー。
体験っていいね。
懇親会の帰り道~
夏目漱石先生の誕生の地!
東京@ブラミルクの会でした。
日本人と牛乳の歴史は100年や200年どころか、1000年以上‼︎
人類と乳の歴史はミルク一万年~♡
和仁先生、矢澤先生、安宅先生、前田さん、田宮さんみなさまありがとうございました~\(//∇//)\
ベジアナ@あゆ