日本国じゅう駆け回った今年「いちばんの旅先はどこだった?」と友達に聞かれて、
わたしは迷うことなく、「三宅島」と即答しました。
札幌、青森、五所川原、野田村、淡路島、ミラノ、ヴェネチア、金沢、津幡、能登、鹿屋、桜島、沖縄、美濃加茂、これ下半期のほんの一部で、上半期のことはもう思い出せないぐらいなのですが、
とにかくどんな遠くよりも東京都三宅島が自分にとっていちばん感動的ショックでした。
というわけで、今年訪ねたベスト5は、
①三宅島
②淡路島
③桜島
④沖縄
⑤ヴェネツィア

そう~!発表・島~す!ぜんぶ島なのです。島旅アイランド~♪
島というのは地域資源が、その循環が見えやすいんですね。
つまり地域らしさ(個性)が出やすいということです。
人間も、地域も、商品も、店も、独自性がないとおもしろくないでしょう。
※ちなみにカテゴリー外のためベスト5入りしなかったのは、
◎日本列島 (日本って島だったんだ~。うっかり!島った~)

というわけで、以下のコラムを
「畜産コンサルタント」12月号に書きました。
小谷あゆみの“おいしいにはワケがある” 第 83 回 
三宅島の牛乳せんべい~ 地球も島も生きている 

{B1447EE7-7B4E-4D71-848E-03DCBEE07F9F:01}

畜産コンサルタント12月号

小谷あゆみの“おいしいにはワケがある”第 83 回 

三宅島の牛乳せんべい~ 地球も島も生きている 

 三宅島へ行ってきました。東京の南海上175kmにあり、伊豆諸島の一つですが、東京都に属します。三宅島みやげとして、クサヤと並んで有名なのが、牛乳煎餅。

昭和35年創業、岡太楼本舗の店内で手づくりされるサクっとして甘いミルク煎餅です。

 島の酪農は明治に始まり、戦前、3000頭の牛がいた時代もありました。島の中心、雄山にある村営牧場にはのんびり牛が放たれ、15年前までは島の観光名所の一つでした。

 しかし2000年8月の噴火により全島民とともに牛も島外へ避難しました。4年半後、人々は島に戻りましたが、火口に近い牧場周辺は火山ガス規制のため今も立ち入り禁止で、酪農は再開されていません。

 牛乳煎餅の原料乳は島外産になりましたが、岡太楼本舗のお店の前には3頭のホルスタインの像があります。かつては酪農の盛んだった三宅島の歴史の証しとしても、牛乳せんべいは意義深いおみやげになっています。

 阿古地区では、見渡す限り真っ黒な溶岩で覆われた「溶岩原」を「火山体験遊歩道」として整備しています。2000年噴火の前、1983年の噴火で、阿古340軒の集落はまるごと溶岩に飲み込まれました。ところが当時いた1300人の住人全員、一人の死傷者も出さずに無事避難したそうです。すばらしい防災意識と助け合いに驚きました。
 最近の記録だけでも三宅島は1940年、1962年、1983年、2000年に爆発しています。ほぼ20年周期で噴火は確実に繰り返されるということを島の人々は経験として知っているのです。
 島で暮らすということは、火山とともに生きることでした。
 黒い溶岩原のところどころに緑の植物が生えていました。ハチジョウイタドリという名で、長く丈夫な根っこを伸ばして溶岩の層を突き破って育ちます。いずれは枯れて腐葉土となり、そこからまた次なる植物が芽吹き、何百年かけて辺り一帯の緑再生の礎となるため、パイオニア植物と呼ばれています。

 「火山体験遊歩道」を歩くことは、地球誕生のダイナミックな生命のなりたちを体感することに他なりません。マグマの上を歩き、目で見て、手で触れることができるのです。溶岩のかけらはスコリアと呼ばれる多孔質の軽石で(島外持ち出しは禁止)、これが地球の中から噴出してきたのかという感慨深さは、他の場所では味わえない貴重な体験でした。

 三宅島を一つの生命体と考えると、牛の放牧風景は失ったけれども、新しい資源ができたということになります。火山を災害の種として嫌うのではなく、被害は最小限にとどまるよう避難して、資源として有効利用する。地球規模の命の営みとして俯瞰すると、自然現象とともに生きる島の営みは、農業や畜産にも共通する考えかもしれません。

牛乳煎餅をかじりながらそんなことを考えました。

{CCD44207-56F9-4503-A883-298E04672FE3:01}
「畜産コンサルタント」は中央畜産会が発行している専門誌です。
“おいしいにはワケがある”と題して83 回(7年間) 毎月コラムを連載しています。

(フリーアナウンサー/農業ジャーナリスト・小谷あゆみ)
tokyo reporter 島旅山旅という東京都の観光PR旅シリーズでした。