7/2(木)に那覇市内で、
琉球
新報×日本農業新聞×JAおきなわの「沖縄農業の未来と地域再生」シンポジウムが開かれました。

翌日、日本農業新聞のO論説委員や記者のTさん、Hさんが辺野古へ行くというので、とにかくわたしもこの目で見ておかなくてはと同行させて頂きました。

座り込みテントはこの辺野古漁港テントと基地ゲート前の2ヶ所あります。

まさに大浦湾に面して立つ「へのこ座り込みテント」の方が古いものです。


4093日という数字(7/3時点で)、実に11年間の歳月。
この日は平日のためか、テントの中にいたのは3人の人でした。
話を伺った田仲さんは、勤めをされていますが、時間があるとテントに通う。という活動を10年以上続けているそうです。
テント脇の看板を見ると8時から16時と書いてありました。

なるほどここに寝泊まりしている訳ではないのです。
みな、それぞれ仕事を持ちながら、時間のあるときにやってくるお仲間がいるとのことでした。
それ以外に、私たちのような県外からの旅行者、メディア、また修学旅行で1クラスまるごと連れて来る学校もあるそうで、毎日何かしら70~80人の人が訪ねてくるとのことでした。
どおりで田仲さんは、冷静に淡々と、辺野古の海についての歴史、現状、環境を説明してくれました。

まるで学芸員さんのようにわかりやすく丁寧に必要な情報を解説してくれたので、そうかテントの役割は監視でもあるのだけれど、アンテナショップ的に、外の人への情報を伝えるメディアでもあるのだと後からわかりました。
帰ってから調べると田仲さんは数々の取材に答えている方でした。
http://www.qab.co.jp/news/2015012862448.html
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-228854-storytopic-1.html

田仲さんが基地問題に関わりだしたのは2004年からで、
なんと出身は埼玉で、はじめは埼玉から沖縄へ通っていましたが、8年前から移住して活動を続けているそうです。
首都圏にいた時は、沖縄の生の情報が伝わってこないと感じたそうです。


いただいたパンフレットです。
赤色で塗りつぶされているのが新基地建設予定地。


「ジュゴントレンチ」と呼ばれる海草藻場の「食み跡」が2014年だけでも100ヶ所以上見つかっています。
辺野古大浦湾は、美しいサンゴ礁はもちろん、沖縄に生息する野生のジュゴンの重要な採食場所でもあるのです。


辺野古にそんなにも頻繁に野生のジュゴンがいたなんて、私は知らなかったのでびっくりしました。
地球規模の環境からも、これほど価値のある海だとは…。
http://www.wwf.or.jp/activities/2014/02/1182806.html


ちょうど砂浜に、カヤック隊と呼ばれる海上での行動をしている人たち10数人が、交代なのか休憩なのか海からあがってくるのを見ました。
ふつうなら楽しいはずのカヤックは、監視と、基地建設反対の意志を伝える力として海に出ているのだと知りました。

一見、それはとても静かな行動でした。
カヤックも、テントも、基地反対の勢力は
(きょうの段階では)どう見ても圧倒的に小さな、静かな行動に見えました。
それでも彼らは毎日毎日やれる範囲で意志の表明を行動として続けていました。
こちらも人間の行動ならば、あちらも人間の行動。
なにかもう言葉にしようのない、いたたまれない気持ちになりました。


漁船が数隻とまっていました。
防波堤の向こうの沖に浮かぶ島など、肉眼で見えている範囲の海はすべて埋め立て予定地だと聞き、その広大さに驚きました。
いま見えている海はぜんぶなくなってしまう。
新しい基地を作るために。

地元漁協は海域の埋め立てに伴う漁業補償金としてすでに36億円で同意したとのことでした。
かといって漁師さんを誰が責められるでしょう。
地元住民が分裂することを見越して補償金は撒かれていると思うと、背中が寒くなるような心理戦です。
地域住民の心も破壊しようとしているようです。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-225824-storytopic-3.html



田仲さんに御礼を言って別れました。

次に、辺野古漁港から車で数分、


キャンプシュワブのゲート前。

お昼頃、バスから30人ぐらいの人たちが降り立ちました。
ここのテントまで、那覇から1時間あまり毎日シャトルバスが出て、参加したい市民を運んでくれます。
沖縄県内では8割の人が建設反対とアンケートに答えています。


座り込みから立ち上がって、ちょうどシュプレヒコールを始めた時間に遭遇しました。
フェンスのそばには日本人の機動隊がいました。


「このフェンスに物を貼付けたりする行為は、日本の法令により処罰の対象になる」と米軍海兵隊からの警告に、
黄色い紙で「基地として奪っている沖縄全土を返還せよ。神様も聖書の中で人の物を盗んじゃいけないと言っているでしょう」というメッセージが貼付けられていました。
おそらくいろんなメッセージが貼られてははがされ、また貼ってははがされを繰り返しているのでしょう。それを示すテープの跡がありました。
明日はがされるとわかっていても尚メッセージを貼る人々のことを思いました。

こういった地域住民の行動や環境アセスメントの側面から、沖縄の経済界でも基地反対を自社の声明として公表する企業が出てきています。
これこそCSRです。
かりゆしグループ、かねひで(金秀)、沖縄ハム(オキハム)など県内大手企業が新基地建設に絶対反対と意思表示しています。

経済の面からも地域の環境や住民の意思を大切にする方が企業にとっても有益だと言い始めているのです。
消費者は企業の姿勢で商品を選ぶことができます。
わたしはこの3社を覚えておこうと思いました。

ジュゴンの食痕があり、クマノミ達が生息するサンゴ礁、辺野古の海は、それはそれは美しいものでした。
現地で活動する人の声など、行ってみないとわかりません。
行ってこの目で見て、そこにいる人の生の話を聞けてよかったです。
一人一人の声、自分の肌で感じたことにうそはありません。
今回、沖縄に行く機会を得られて、嬉しかった。関係方面の皆様に感謝申し上げます。


村上春樹さんがエルサレム賞授賞式で語った「卵と壁」のスピーチを思い出した。

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これは私がフィクションを書く間、ずっと心に留めていることです。

「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」
"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

壁がどんな正しかろうとも、その卵がどんな間違っていようとも、私は常に卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。どんな理由があるにせよ、もし壁の側に立って書く作家がいたとしたら、その仕事にどんな価値があるというのでしょう。

Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. 
The wall has a name: it is “The System.” 

「私たちは誰もが、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちのひとりひとりは脆い殻に包まれた、ひとつひとつがユニークで、代替不能の命です。私はそうです。みなさんもそうです。私たちは誰も、程度の差はあれ、高く硬い壁の前に立っています。
その壁には名前があります。『システム』です。」

「『システム』は私たちを保護することになっています。けれども、しばしばシステムはそれ自身の命を持ち、私たちを殺し、また私たちが他者を殺すように仕向ける始めます。冷血に、効率的に、組織的に。」

「私が小説を書く目的はただ一つです。それはひとつひとつの命をすくい上げ、それに光を当てることです。物語の目的は警鐘を鳴らすことです、『システム』にサーチライトを向けることです。『システム』が私たちのいのちを蜘蛛の巣に絡め取り、それを枯渇させるのを防ぐために。」

http://blog.tatsuru.com/2009/02/20_1543.php 内田樹の研究室より

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そして昨日、雨の神保町、岩波ホールで、ジャン・ユンカーマン監督「沖縄 うりずんの雨」を見ました。

フェンスにテープを貼って意志行動をする日本人と、撤去する米軍。
本土の元日本兵から見た沖縄の暮らしや文化への驚きの話。
基地問題を語る前にそもそも沖縄の歴史、地上戦、1972年の返還から、島民の落胆は始まっていました。
戦後70年と言われても、沖縄では太平洋戦争はまだ終わっていないことを知りました。
2時間半のドキュメンタリー、沖縄の歴史について勉強になりました。
沖縄へはすぐには行けないけれど、こういうドキュメンタリー映画をすぐ観に行けるのが東京のよさです。
まずは知ることから。
「沖縄 うりずんの雨」岩波ホールでは7月31日まで。


ベジアナ