すごい夜であった。
毒蝮さんが、
「ごはんに連れてってあげよう、誰かトモダチ呼んでおいで」と言ってくれたので講談の神田京子さんを誘った。
途中から京子さん師匠の神田陽子さんも合流して、マムシさん馴染みのバーへ向かった。
「昔よく、談志やなんかと飲んでたんだよね。」というマムシさんの話を聞きながら銀座のはずれのビルの地下の階段を下り、扉を開けると、
なんと、
立川談志さんが
いらした。
談志師匠は、たまたまそこで取材を受けていたのだ。
毒蝮三太夫の名付け親は、言わずと知れた立川談志さんである。
お二人は「笑点」で共演する前からだったか、若いころから友達で同い年だと聞いていたが、ホンモノ遭遇にはカンドー的にビックリした。
ケイタイでこの写真を撮らせて頂いたとき、談志さんは
「この待つ間がいやなんだよな」とつぶやいた。
写真をとる瞬間、ほんの0,5秒ほどの間ができる。
そのときすかさずおしゃった。
みんな笑った、わたしも笑った。談志さんはそのあと無言だった。
ふだんよく携帯写真をとるわたしだけれど、
さすがにこの方を相手は言い出せずにいた。
むしろ神田陽子師匠が京子さんに
「あなたデジカメ持ってきてないの?」と聞いていたが、
持ってなかったので諦めかけていた。
だが帰りがけ、カウンターにいた別のお客さん(知人でもあるらしかった)から
談志さんが「写真一緒にお願いします」と言われて快く応じていたのを見て、
これは!今しかない!と思ってお願いした。快くOKをいただきましたー♪
京子さんとワタシが代わりばんこに撮った。
全然こわいひとじゃないと思った。
近寄りがたい威厳は確かにあったけれどそうに見えるだけで、少なくともエラそうなそぶりは少しもない。
男友達同士というのはふしぎなもので、
久しぶりに会ったのらしいのに、お互い驚く様子も嬉しい様子も
隠してふつうを装っているように見えた。
ほとんど目もあわさなかった。
談志さんは声がすこしかすれていたが、どんな受け答えもそれはそれはカタチある「話芸」になっていた。
はじめは取材を受けている談志さんと、私達女子に囲まれるマムシさん、
店の隣の席ではあるが、同席しているわけではないので、
それぞれ邪魔にならないようにしながらも、
「おい、あの時のあれは、なんとかだったよな。」などと、ときどき談志さんがマムシさんに
話し掛けて確認したり、逆にマムシさんが談志さんにはなしをふったり、
いつも大勢に囲まれていることが当たり前のお二人の、ふしぎな間がおもしろかった。
ああここはとある銀座のビルの地下に潜むバーで、日本一と呼んで間違いない話芸や芸の世界の
生き字引きお二人とプロの講談師の中に紛れ込んでしまった。
講談師 神田京子さんによるとその日の会話は・・・
談志師匠が二代目神田松鯉が好きだった話、その場で口真似、
錦城斉典山の話、昔の本牧亭の話、邑井貞吉の話、
二代目神田山陽に「芝居の喧嘩」を教わった話などなど・・・。
談志さんの取材が終わるともちろん、マムシさんたちと合流~。
談志さんの弟さんもいらした。
最後の方にマムシさんが一度だけ「声、だいじょうぶなのかい。」と問うた。
かすれた声でのどが苦しそうなのをずっと気にされていたのだ。
店を出て、夜はまだまだこれから。
手前右はまむしさんで、左は神田京子さん、
その奥の真ん中で、背中を向けて歩く黒いベストの前の白シャツの人が
談志師匠~!!!!
信じられない人のすごい話芸を生で聞いてしまったーー
その後、「のせにいった」串カツ屋さん。
食事に行くことを「のせにいく」とその世界では言うと
前にまむしさんから知った。
くわしくは京子喫茶室
神田京子さんブログでどうぞ。
http://blog.kandakyoko.com/?eid=1374700
親鸞の展覧会。
日本橋三越にてまだ”のせにいく”には早い時間だったので
「最終日だからちょっと付き合ってよ」とまむしさんが言った。
親鸞さんの生涯がわかりやすく展示してあり、すんごくおもしろかった。
僧侶として初めて結婚した人であった!恵心尼さんと。
越後へ流刑になり、その後関東~京都へ布教。
この時代になんと90歳まで生きた!
親鸞の展覧会を企画した人によると、
想像以上の大盛況で開催中述べ4万5千人だったか入場したらしい。
この日も最終日だったので展示物に近づくのも大変な大にぎわい。
これから来年にかけて日本全国巡回展。
親鸞さんは来年750回忌。
来年、京都へ大変な親鸞法要の民族大移動が起こるそうです。
いや~~~。濃い一日でした。ありがとうございました。
ベジアナ@あゆ