松本清張記念館 に行ってきた。小倉城のすぐ隣にある。

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9:30分開館で9:45に着いたのでほとんどお客さんはおらず

のんびりと見て回る。

小倉生まれのこの文豪は何しろ1000冊の本を書かれたそうだ。

(92年、82才で亡くなるまでのおよそ40年間で)

朝日新聞に勤めていたという話は聞いたことことがあったが、

年譜を見ると記者ではなかったらしい。

両親の面倒を見ながら印刷工をしていたが会社が倒産して、

朝日新聞の支社が小倉にできることを知り、支社長に直に手紙を書いた。

「そうするより他、手だてがなかった」と後に回想している。

新聞広告部の版下係であった。

その後『週間朝日』に応募した小説「西郷札」で認められ文壇デビューする。


視聴室で清張さんが手がけた事件のドキュメンタリーを上映していた。

1時間20分と長いのでちょっとのつもりで覗くとあまりにすごい話で

最後まで見てしまった。

「日本の黒い霧」に書かれた「帝銀事件」や黒人兵集団脱走

(城野キャンプ)事件の真相を取材し、書く、に至った話。

氏の数ある作品群でも「砂の器」や「点と線」「ゼロの焦点」、

ドラマ化された「黒革の手帳」などの推理物はなんとなく知っていたが

戦後のGHQ統制下の日本で、事実がゆがめられてしまったいくつもの事件を

克明に取材し世間に問いかけた人であった。(無知なのは私だけだろうが)


ビデオを見終えて視聴室の暗がりから出ると、展示室は大勢のお客さんで

ごった返していた。

やはり小倉の生んだ有名人気作家なのだ。


もう一人の文豪。森鴎外の旧居。

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小倉の繁華街、鍛治町にぽつねんとある。 こちらは入場無料。

ただし家が公開されているだけで展示物はあまりない。

が、風通しの良い、立派な作りのうらやましい佇まい。

20051105_1249_000.jpg 森鴎外さんの等身大の写真。
身長161.2㎝だったそうです。私より若干低い。
だが明治時代、男子の平均身長は155㎝ぐらいであり、
文豪は長身の方だった。(と横の木板に書いてある。)
軍医部長としてこの地に3年間赴任した鴎外さんは
清張さんと違って華やかな文化の中心にいたらしかった。

記念館で清張さんの「半生の記」(新潮文庫)を買った。

父親が職を転々とし、貧しさのため小学校しか出られず、
その学歴から貧困から抜け出せず、
新聞記者に憧れたが印刷工の見習いになり・・・、
復員後、物資不足で箒(ホウキ)の仲買で生計を立てて・・・
41才で文壇デビューするまでの長く暗い時代。

社会派小説の巨人は小説家志望でなかったと述懐するが
その半生に長く長く溜め込み、心に刻まれたものがあった。
自伝は興味深くおもしろい。 いい本に出会えた。