おいしい豆腐を食べるためのコツは三つある。
まずひとつはきちんとした豆腐屋で豆腐を買うこと(スーパーは駄目)、
もうひとつは家に帰ったらすぐに水をはったボウルに移しかえて冷蔵庫にしまうこと、
最後に買ったその日のうちに食べちゃうことである。
だから豆腐屋というのは必ず近所になくてはならないのである。
遠くだといちいちこまめに買いにいくことができないからね。
ところがある日僕がいつものように散歩のついでに豆腐屋に寄ってみると、
シャッターが下りていて、「貸店舗」という紙が貼ってあった。
これからの僕の豆腐生活はいったいどうなるのだろうか?
~中略~
これは昨日ワタシが買ったよせ豆腐。限定大豆と沖縄にがり使用。
パリの主婦はパンの買い置きをしない。
食事のたびごとに彼女たちはパン屋に行ってパンを買い、余れば捨ててしまう。
食事というのは誰がなんと言おうとそういうものだ、と僕は思う。
お豆腐だってそうで、買ったばかりのものを食べる、
宵越しの豆腐なんか食えるか、というのがまともな人間の考え方である。
めんどうだから宵越しのものでも食べちゃおうという精神が
防腐剤とか凝固剤とかいったものの注入を招くのである。
~中略~
だから本格的なきちんとした豆腐屋が町から一軒一軒と姿を消していく。
だいたい今どき、朝の四時に起きて働こうなんて殊勝な人は
いなくなっちゃったものね。残念である。
~中略~
たかが豆腐、というところで、
豆腐はぐっとふみとどまってがんばっているのである。
(安西水丸氏の挿絵を再現)
僕はそういう豆腐のあり方がとても好きである。
豆腐のいちばんおいしい食べ方とは何か?
と暇なときに一度考えてみたことがある。
答えはひとつしかない。
情事のあとである。
えーとこれははじめにきちんとことわっておくけれど、全て想像である。
~中略~
まず昼下がりに町を散歩していると、
年の頃は三十半ばの色っぽい奥さんが
「はっ」と息をのんで僕の顔を見るのである。
「なんだろう」と思っていると、その人の連れていた五つくらいの女の子が
僕のところに駆けよってきて、「お父さん」なんて言う。
よく話を聞いてみると、
去年亡くなったその人の御主人が僕にそっくりだったらしいのである。
~中略~
で、事が終ると夕方で、家の外をちりんちりんと
豆腐屋の自転車がとおりかかり、
女は髪のほつれをなおしながら「おとうふやさーん」と声をかけて、
絹ごし豆腐を二丁買い、一丁にねぎとしょうがをそえて、
ビールと一緒に僕に出してくれる。
それで、「ちょっととりあえずお豆腐で飲んでてくださいね。
今、お夕食の仕度しますから」などと言うわけである。
↑
と村上さんは書いておられます。
ひとつの豆腐からここまでツヤっぽい物語が生まれるんだな~。
「村上朝日堂」著者村上春樹・安西水丸
昭和59年7月若林出版企画より刊行。