なんだろ、なんか私の中のカーリーをずっと切り離してた。

私の男性性がこんなむちゃくちゃな女と
この世界を生きていくのは無理だ、
手に負えない、自分も破滅する
と思って否定していたから。



多分それが、私の自己評価が低い原因だ。

私の中のカーリーを
否定してきた理由はお母さん。
そしてお姉ちゃん。


あんな女にはなりたくない。
こんなやつが存在するなんて許せない。



世の中から虐待を無くしたい。

子どもは愛されて安心して育つべきだ。

弱さを武器に人をコントロールする
人間は許せない。

自分のことしか考えられないやつがまじで嫌い。

てか、なんかもう、頭悪いのが無理。
バカが嫌い。




いや?

カーリーがカーリーになってしまうのは、
環境のせいだ。

カーリーを出現させない様な環境を作ろう。



そうして私は保育士になった。

世の中が母親たちをサポートすれば、
子どもたちを少しでも守ってあげられる。

社会全体でちゃんと子育てするシステムに
変われ!


ホステスやメンエス嬢にもなった。

男性たちが癒されれば、
自信を取り戻せば、
女や子供から逃げなければ、
仕事に没頭することに逃げなければ、
カーリーを止められるかもしれないから。


そうやって、
カーリーの存在自体を
否定してきた。



てか、

カーリーってなんだ?笑




たぶん、女性性の1部であるなにか。



カーリーを出現させないために、
世の中を変えようとしたけど、

それが正義だと思ってたけど、

ひとりで世の中は変えられない。


今目の前の現実を変えたければ、
カーリーを出現させるほうが断然早い。




そのカーリーを
都合のいい女にするんじゃなく、
自由にさせてあげられるのが、
男の甲斐性なんだと思う。

私の中の男性性は、
カーリーを自由にさせてあげられるくらい
育ったみたい。

彼女が魂を輝かせられるなら、
自分は殺されてもいいと、
死んでもいいと
破滅させられてもいいと
思えるようになったみたい。


私の中の女性性は、
男性性のその
抱えきれないものすごい愛を、
命を受け取る覚悟ができたみたい。

彼の本気の愛で、
私は自分らしく魂を輝かせて生きるアップ




解き放て、

私の中の

カーリーを!!


※自分でもなにいってんだか、
よくわかりません。
なんとなく雰囲気で受け取ってください。笑

今までなんでも説明し過ぎるのは、
私はわかってもらえない、
嫌われる、大事にしてもらえない
って前提があったからで、

それをすると自分が
一時的に安心できたからやってきたわけで、

でも実際に期待したような効果は
もちろんなかったわけで、

逆にどんどん相手の
私に対する興味が薄れていくわけで…

私はわかってもらえない、
黙ってたら怖がられる。
自分からいかないと、
ずっと放っておかれる。
って、思い込んできて、
恐れベースの行動だったし
それが現実になってた。


だから今後は説明を求められる前に、
長々と解説しようとするのは
控えようと思っています。

長文LINEもやめたし、
てかそもそもLINEを
コミュニケーション手段にするの
やめてみようって思って、
しばらく試しています。

いちいち自分の行動を説明してから
何かしようとするのもできるだけやめる。

愛想笑いもやめてみる。


それをやるのに、
カーリーを降臨させる必要があったみたい。

降臨なのか、解き放てなのか、
なんだかわかんないけど。笑


そういえば、高校生の時に
「ハチ公の最後の恋人」
っていう小説が好きすぎて、
それからめちゃくちゃ読書にハマった。


 





この本の中で、


説明とはなにか、とか、

説得の嘘ワールド、とか、


そういうなんとなく思ってたけど

言語化できなかったことが、

言語化できて超嬉しいキラキラ


みたいな経験をして、

自分も本を書きたいと思って

文化創造学部っていう変な学部に入っちゃった笑


このままじゃフリーターになっちゃうと思ってやめたけど、
それで流れで保育士取っといて
まじでよかったけど、
勉強できたことは面白かったなー音譜


そう、つまり、私が説明してしまうのは、
わかってほしい、
淋しい、
っていうインナーチャイルド的な
なんかによる脅迫行動なんだよね。

もう、やめてみる!



銀ちゃんにとって私は

「最後の恋」らしい。


それ聞いて大好きだったこの本のこと
思い出した乙女のトキメキ