最近いろいろ思うところがある。

 

・「宝石の国」の漫画にすごく魅入られていた。

 話が進むにつれ 主人公や世界観がエグイほど変容していく様に。

 信じていたものが崩れさり 頭がクラクラすることが 山ほどある。

 

 

 信念や 目的や 幸せや 自分について信じていることなんて 

 そんなものなのだろうと 思う。

 すぐ 崩れ去る。

 

 

・四柱推命を最近よく調べる。

 戌亥天中殺 とか、 月中殺 とか、 華蓋殺 とか。

 昨日 夜中に起きて辛かったときにも つい調べてしまった。

 

 共通して頭に残るアドバイスは 人生に熱を持たない、執着しない、孤独、精神性、人と比べない。 

 

 

・人の評価や反応に自分がぐらついて 考えすぎて 気が付いたら起きれなくなって 抑鬱状態になることがよくある。

 それと 夫が 私の友人女性と楽しそうに話し、尊敬する様子を見せて、キラキラしていて、帰ってから私への興味が鈍くなっている様子には 被害妄想なのだろうけれど 本当に毎回 傷ついてしまう。

 前はそれで怒っていたが、今は怒ってもどうにもならないので何も言わない。

 ただ、毎回ひどく考えさせられる。

 私はどうして 気にしてしまうのか、執着してしまうのか、私が求めているものは何なのか。

 

 

・夫は人生の刺激や指針をくれて、共に歩める信頼できる友人だと思う。

 でも、私とは違う人格の持ち主だ。当たり前だけど。

 すべて 夫の気に入るように従う必要はない。

 

 さやちゃんでさえ 人格は私とまるで違うのだから 依存しない方がいい。

 

 これは私の人生なのだから。

 

 それは、義家族や 子供や 周りの人々からの評価に対しても 同じように言える。

 

 助言には感謝する。平和は保ちたいし、助けられることは助け、平和で楽しくいたいと思う。

  

 だけど、助言や反応を考慮すれど、 私は頑固なまでに じぶんの人生をやめない。

 

 私は 世間的な良さの枠にはまりたいわけでもないし、 

 何か得たいものがあるわけでもない。

 

 ただ、生活をしながら 生涯消えることのない 半歩ずれた目で 世界を見ていて、

 そのまま死んでいくだけだ。

 そのさなかに 人と交わりながら 自分を高めるだけだ。

 なにも得るものはない。それで良い。 

 ただ 半歩ずらした目で 誇り高く 自分のペースで生きていく。

 

・藤井風さんを参考にしたい。

 

 「つねに人を助け、傷つけるな。」

 

 「自分はただの道具であって、降ってきた曲をシェアしてるだけ。」

 

 「誰かがちょっといい気分で、人生送ったりするために、音楽やっとるようなもんなんで、それが全てです。」

 

・わたしも 神様の道具になりたい。

 

・夫は なにかの才能を活かして 活躍することを私に望むが、

 もはや わたしは 名声も お金も 必要ない。

 

 私と子供たちが生きていく分のお金が それなりに約束されていれば 何も必要ない。

 

 才能は神様のために活かす。

 そうでないと 利益や評価を得ようとして苦しむから。