わたしは 半径1メートル以内の 周りの人たち 特になにか小さなグループにいる場合は


その人たちの調和がないと不安で


調和、安心を得るために


こどものころから いつも周りを気づかって


がんばっていた。


調和を得ることには


どこまでいってもおわりがないから


そのうち不安に駆られながら やりすぎるようになった。


それが 不安障害の一因なのかもしれないと 思った。


ちがうよ、と自分にいってあげる。


あなたは つねに足りないんじゃない。


あなたは そのときどきで あなたにとってできることを 精いっぱいやったのだ、と。





周りの人たちの調和というのは


一生完成されることはない。


それよりも、わたし自身の 内部の調和が 


自然と わたしの輪郭と 信念をつくり


自然と 周りにも 平和を作り出すのだ、 と思った。



ただ迎合するのではない。


自分の中のどうしようもない闇から 


自分がどうしようもない厄介な存在だと知りながら


ときに苦しみ 沈黙しながら


一人でこつこつと すくいあげ 昇華させた平和。


それはけして人に迎合しない。


遠く離れている。


でもそれでいい。



いろんな人がいる。


楽しそうな人


意志の強そうな人


明るく元気にさせる人


わたしは 自分の写真を見ていて


平和な雰囲気を纏うのが わたしの個性だと思った。


それは だれとも比較するものでなく よく納得できた。





いまかいたのが


月 を満たす 


から


太陽、冥王星 に移行する


だった。


月の不安には あなたは そのときどきで よくやってきた、


と言ってあげるのだと思った。







世間一般のよくやったは 考えなくていい。


わたしが わたしの納得するペースで生きられたら


世間から与えられたハードルなど


どこかにいってしまう。