次男へのストレスから、

 

いろんなストレスが数珠つなぎになって

 

負けそうになる。

 

負けそう=寝込んでしまいそう。

 

一旦、ストレス源を寝る前に全部書き起こしてみた。

 

認知を修正しようとする前に、

 

ただ書いた。

 

その後、これは自分の中の思い込みストレスかも?というものだけ

 

括弧でくくった。

 

少し頭の中が整理できた。

 

まず、本当はストレスなのに

 

「ストレスと思っちゃいけない」

 

と思って 吐き出すことすらできないことも多かった。

 

実際に起こっていない、考えすぎなことも

 

書き出してみると まあまああったけど

 

一旦吐き出す、ストレスだということを把握する

 

の1ステップがとても大事だなと思った。

 

知らないうちにパンクしないために。

 

 

 

その後、

 

ストレスに対してどう対処するか決めたり、

 

生活の中の優先順位を決めるのも

 

文字で行えばいいんだなと思った。

 

 

いま私はそれくらいの ゆっくりペースで

 

自分と向き合うことが 大事。

 

けして急がないこと。

 

 

 

やることも色々あるんだけど

 

(そして 何かやるたびに 今まで保留にしてた自分への自責とか 色々思考が出てきて また手が止まったりするんだけど)

 

自分の中の優先順位と キャパ をゆるく見積もる。

 

優先順位 1位。

 

まずは 睡眠と 食事。

 

それから 静かな時間をもつこと。

 

それから 軽い運動。

 

安心を得る。

 

そうして 健康の下地をつくっていく。

 

自分のために 自分が生きることを 毎瞬 許可できるようになる。

 

そういう 心と体の下地を ゆっくりと作り直していくこと。

 

それが何よりも 大事だと 自分に言い聞かせる。

 

外側に惑わされてはダメ。

 

外側を見た結果の不安によって 何十年も 人生がほんろうされてきた。

 

安心が得られなかった。

 

自分のなかに安心を得ること、

 

いちばん簡単そうで いちばん難しいことを やり直すこと。それがいちばん大事。

 

あとは二の次。

 

 

 

あとのtodoはリスト化して

 

自分でできることと

 

ひとにお願いすることを 

 

今までよりも お願いすること多めで

 

あるいはハードルを下げて

 

分類してみる。

 

 

 

自分でないと出来ない やりたいことは

 

水彩画、 簿記をとる、 フラダンス。

 

没頭するのを心がけてみる。

 

没頭すると 私の世界の 色んなことが解決する可能性がある。

 

子供のことすらも。

 

わたしにとって 没頭というのは本来 とても大事だけど、

 

今まで長年 不安にとらわれて させてあげられなかった。

 

読書すらも ままならなかった。

 

勉強なんて できなかった。

 

いま少しずつ その楽しみを 取り戻し始めている。

 

 

 

 

 

こどものこと。

 

学童を毎日嫌がる、

 

学童にいかず自分で帰ってきてしまう、

 

家で 太鼓のゲームやギターやyoutube などうるさい遊びが多い。

 

上記すべてをやめて別の遊びに誘うも

 

こんどは声がうるさい。

 

宿題や入浴や起床や、 親が尻をたたかないとやらないし、

 

いっちょまえな口をきくし 自分で決める!やる! と自立心旺盛なわりに

 

トイレなど 一人で出来ないことが 多い。 

 

夜中も隣に寝ていなければいけない。子どもだけだと 夜中目が覚めて怖がるため。

 

偏食でご飯は好きなものしか食べない。 それ以外を食べさせようとすると激しく抵抗してイライラする。

 

 

 

反抗と 騒音と 甘えと ‥‥の繰り返しで つかれてしまう。

 

他に大人がいても つかれてしまう。 ワンオペの日なんて 耐えられない。

 

時間通りに行動させる工夫とか

 

自律的に行動させる工夫とか をさせる、考えるの自体が いまの私にはストレスになっている。

 

なんでここまで こいつらにやらないかんのや、、 みたいな。

 

こんなことなら 自主性を尊重とか言わず もう少し 厳しく育てた方がよかったんだろうか、と思う。

 

 

 

家族会議では 自主性を尊重、というか 大人の言うことを通り一遍に聞く子ではないので

 

話し合って 納得させる、自分たちでルールを決めさせようと いうことにはなった。

 

その家族会議を開催するのが 最早めんどくさい。

 

 

 

まあ、子どもだから 出来なくて当たり前なんだけど

 

なんかだんだん身体も大きくなって 行動範囲が広がったり 成長してるのに

 

こういうところで いつまでも赤ちゃんみたいで いやになってしまう。

 

 

 

 

わたしが自分のことに没頭したり、

 

あるいは夏に赤ちゃんが生まれて 大人の意識がそっちに集中したら

 

案外解決するのかもしれない。

 

いまは 毎日かえってくるのがストレスでしかない。

 

贅沢なものだなと思う。自分で。

 

 

 

こういうストレスを夫に愚痴ると

 

俺はそこまでストレス感じない、とか

 

子供に自分で色々やらせればいい、それをやらせること自体にストレスは感じない、 とか

 

なんだか 感じ方が違って 凹むし、

 

基本的には 愚痴への共感 というコマンドが彼の辞書にはないのを

 

無理やり私のために 共感っぽい動作をしようとしてくれるのが伝わるため

 

最近はあまり 言えない。

 

言えない、と我慢することがまた ストレスを生む。

 

 

同居開始時と同様に

 

わたしの感じすぎ、考えすぎ というところもあるのだろうし

 

わたしのなかで いつかは時間が解決するところもあるのだろう。

 

ともかく 夫は わたしの過敏な愚痴の話し相手には向かないし

 

感性が違うから上手くやってけるのもあるし

 

わたしは こうやって文章化したりして

 

ため込まないことが まず何よりも大事なんだろうなと ちょっと分かってきた。

 

 

書き起こす →まずは、ため込まない →解決  or 認知をかえる といったコーピング →次の行動へ切り替え

 

なんてループができたらいいんだろうなと思う。

 

今までは ためこむ、ですべてストップしがちだったので。

 

ループづくりがうまくいけばいいけど。

 

大事なのは、このループづくりが 100%自分のためだ というところ。

 

自分を破壊しないために、自分にストレスを感じさせないであげるために、

 

やってあげるということ。

 

間違っても他人に迷惑をかけないため ではない。 

 

あるいは 爆発して他人に迷惑をかけることで 翻って私自身が不利になる ことを避けさせてあげる ため。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは 今まで いかに他人本位で生きてきたかを 近頃 思い知る。

 

未だに 決断は 長いものに巻かれろに なりがちで、ほんと自分に嫌気がさす。 自主性はないのかい?と。

 

好きなものにだけ 自主性を発揮しても別にいいじゃない、と 自分を慰める。

 

欠点の多い自分を 諦めるし、受け入れる。

 

人生や自分は こんなものだ と。

 

これからは ひとに頼りがちなところも含めてokして、

 

とにかく 自分のために生きる方へ 舵をとろうと

 

毎日自分へ言い聞かせる。

 

他人に導いてもらいたい、甘えたい傲慢さを隠して 他人のために生きるふりをしてきた。むだに我慢してきた。

 

わたしはそれにつかれた。 もう十分頑張った。 我慢させすぎた。し、そもそも そんなムーブは気持ち悪すぎる。

 

舵をきろう、方向転換しよう、ゆっくりと。

 

言い聞かせる。

 

海に浮かぶ帆船を思い浮かべる。

 

35歳が 一つの節目になればいい。