あのときどうしたかったのか。

追体験する


★ピアノレッスン


身体の緊張の原因として思いつくのは


まず母とのピアノレッスンだ。


いつ叱責がとんでくるか分からないこと

つねに指と手首と姿勢に気を配っていなければいけないこと

つねに監視されている自覚

から緊張状態が続いていた。


毎日30分〜1時間、

自ら進んでやっていた記憶もない。


あのときどうしたかったのか。

つねに監視するのはやめてほしい、と、言いたかった。

好きなやり方でやらせてほしい、

あるいはピアノをやめさせてほしい、

あるいは こんなやり方では楽しくなれないばかりか 毎日ピアノの時間が近づくだけで鬱々としてしまう、私は正しさよりも楽しくやりたいと

伝えたかった。


たとえ反論されても、

毎日喧嘩してでも、

それを伝えれば良かったのかもと思う。


子どものときは

そんな選択肢はなかったけれど。


反論する選択肢がないという点が

私の特徴だったのだろう。

他の子どもなら

言うこと聞かないとか

逃げるとか

いくらでも違うことになる可能性はあったので、

私は反論せずにすべてを受け取るやり方を選んだのだろう。



身体の反応としては

下を向いて肚から大声を出す

かなあ。


泣くとか喚くとかにはあまり至らない



★母からの追及


厳しく間違いを追及されたとき

今でもそういうシチュエーションがすごく苦手。

衝動的に行動したあと

長い抑うつ期間になりがち。


身が縮こまって息が浅くなる。

目の前が真っ白になる。

頭に血が上って

大声を出したり

走り出したり

地団駄を踏んだり

ばんと何かを叩きたくなる。

それができなくて少し泣くか

布団で叫ぶかして

そのあと何日も鬱々する。



当たり前といえば当たり前だが

今までであった中で母の叱責がいちばん厳しくて

そのときは反応も行動もできず

感情を殺して

身を縮こまらせて

耐えていた。

そのときの感情が身体に溜まって、

今の衝動性を引き起こしているのだと思う。




本当は 厳しく叱責されたとき

どうしたかったか。


直すべきところがあるのは分かるが

その言い方では傷ついて

うまく考えられない、

もっと落ち着いて要点を話してほしい、

時間がほしい

と静かに伝える。


それでも追及の手を緩めなかったから

きっぱりと拒否する。

相手の目は見ずに。


私にあなたの怒りを受け取る義務はないし、

あなたに乱された感情を鎮める時間が必要で、

あなたの感情が落ち着くまで逃げる権利があると強く主張する。



落ち着いてから話したいと伝える。

けして喧嘩はしたくない、

譲歩して解決していきたいと伝える。


子供は大人より力や立場が弱く、

それでもって 正しさを押し付けられるのは

横暴だという 認識を持ってほしいと伝える。


私が悪いところは素直に謝るし、

落とし所をみつけたり

譲歩するよう努力もするから、


どうか感情のままに追い詰めることだけはやめてほしい

と伝える。


追い詰められてパニックになって固まったままで

大人になるまで、またはなってから大層苦しむことになるから と。


どうか 無理な力をかけずに

成長させてほしい と。




まあ、実際にはこんなこと

子どものときに

言えっこないのだが笑。



でも 自分の権利を強く主張して

線引きすることがあのときできた、

と仮定するだけで


安心の涙がちょっと出るし

救われた気持ちになる。


身体の感覚としては

自分で自分を抱きしめる。




★あなたばっかり楽しんで と嫌味をいわれたとき。 


これは本当に母親から言われた記憶は

大学生の一回くらいしかないのだが、

子供の頃から なぜだか 楽しむと罰が当たるような気がしていた。

いつもどこか 楽しみ切るとしっぺ返しがくるような気がする。


父親とはそういう記憶はない。

楽しそうにしていると喜んでくれた。


あなたは いつも楽しそうにしてるね、とか

ピアノを楽しそうにひくね、

と親以外の大人から言われたことが

数えるほどだけ記憶に残っているが

なぜか たいそう嬉しかった。


ほんとはどうしたかったか


楽しんで何が悪い、とまずいう。

わたしは 楽しみたい という。

その反論により また考える。


これはまあ、実際は…難しいよね。

母親業に休みがないのは事実だし。

子供ばかり、周りばかり と思うのも無理ないし、

教育上やらせなければいけないこともある。


ほんとは親子合意の上でルールをきめて、

そのルールさえ守れば口出ししない

にするのが一番なんだよな。


どうして楽しいことばかりさせてやれないのか

親から話す必要もある。

子供が納得しなくとも、

少なくとも 気まぐれに押さえつけようとしているのではなく

熟慮のすえだということが伝わるだけで

なにかは変わってくる。


問題なのは あなたばっかり、と

どこか 責任転嫁するような感じであることだ。


その言い方はいやだ

とすなおに伝えるしかないのかな。


あるいはもう これについては

逃げるしかないのか。

一回無視して 逃げてみるのも手だ。


逃げた先でなにか 修正しようという 心の働きが起きるかもしれない。


少なくとも

あの大学生のとき言われたシチュエーションに関して言えば

あまり健全でなかったと思う。


あのとき

大学生の私と母はお互い精神的に依存していて

私が家から離れることを母は良しとしていなかったから。

家事をするとかお金を入れるとかをやるとしても

大人としてやるより

母の配下で母の機嫌をとるためにやる

という感じになっていたから。


背景が不健全だった。


ほんとはあのとき

バイトして一人暮らしをするとか

いくらでも選択肢はあって。


それを出来なかったのは

わたしの未熟さだった。



あのときどうしたかったか。

少なくとも 母の言葉を真に受ける必要はないと

心のなかでしっかりと確認しつつ

自分の生活や人生を

しっかりと見つめ直すこと

をすればよかった。



それから、あれが子宮の声だとしたら

やはり家にいなさすぎたのが良くなかっただろうし

家と向き合う、自分と向き合うことを

まるで無視していた結果なのかもしれない。


大人になった今でも

肝に命じなくてはと思う。


片付け苦手なことに 向き合わなくては。






今回がさいごの妊娠で、

なにをしたいか

前は何をしたかったかと 問う。


たくさん休むことはできて

とてもよかった。


家事をたのめて

細々動かなくてよくなったのも

すごくよかった。


あとは過食をやめて、

マッサージで身体を柔らかく、労って、

やりたいことがあるときだけ

存分に身体を動かして、

おしゃれじゃなくっていいから

太陽のように可愛くいられたら

最高だと思った。


身体にいい食事をすること。


それには、頭のショートからくる過食を

へらさなくてはいけない。

やはり 身体の緊張をどんどんとっていくこと。

自分の深みにどんどん入っていくこと。

どんどん 言葉とか感情を出すこと。


排泄がすごくキーだ。


もう、あれだ。


休息と排泄さえきわめられれば。

あとはぜんぶうまくいく。

後悔はない。

と思う笑。