2週間くらい、しんどかったなあ~。

 

引越しは全然予定通りに行かず、

 

荷造りや輸送するものが後から後から出てきて、

 

入居日が予定から何日か遅れ、

 

子供は熱を出して保育園へ行けなくなり、

 

新居に行ったら

 

モノが多すぎて 離れの部屋が使えなくなっていたり、

 

母屋のリビングやキッチンは共同で使いたい という義父母の意向をその時初めてちゃんと聞いたりして、

 

皆で一緒に生活する感じになった。

 

私たちの個室もモノに占拠され、1人の時間もなかなかとれず、安心できる環境や時間がなくて かなり疲弊してしまった。

 

徐々に慣れて、片付けも少し進んだけど、

 

リビング・キッチンの共有にはどうしても慣れなくて。

 

加えて、義父母がしっかりしている方なので、

 

引越しはだいぶ 漏れのないよう主導してもらったが、

 

代わりに 生活面での至らない部分の指摘もナチュラルに増えて、

 

向こうは普通のテンションで言っているだけなのだけど

 

ただでさえ環境の変化に弱っている私には結構響いてしまって、

 

毎朝 起きるたびに 今日は下に下りたら何を言われるか、

 

あるいは言われなくてもどう気遣わなくちゃいけないか と しんどい思いが続き、

 

寝てしまう時間が多くなった。

 

片付けも子供の世話も全然できなくなって、義母に丸投げになってしまった。

 

義父母は自分たちの親の介護的なものも たまたま同時期に加わって

 

親の元に通って とにかく忙しそう。

 

暇な私が、嫁の仕事を言いつけられてるわけでもなく

 

基本的には のんびりしてていいよと 尊重してもらっているのに、

 

常識を超えて動けないラインになっているのを すごく申し訳なく感じた。

 

 

子供の熱が下がって保育園に行くため、

 

比較的近い 私の実家に泊まりに行くも、

 

そこでも精神的に疲弊。

 

 

わたしはどこにいても何をしても 自分で自分を不幸にしてしまうんだな と 軽く絶望し、

 

なんかちょっと 死にたくなる くらいに 疲弊した。

 

 

 

 

 

 

 

環境はいろいろ いろいろ あったんだけど、

 

やっぱり、やっぱり、

 

自分の不安障害 が ゆがめてる部分も大きい。

 

と、実家で 同じく不安障害っぽい母を見ていて とても思った。

 

 

 

色々はしょるけど、

 

たくさん寝た今朝、

 

結論、自分に尊厳を取り戻そう。と思った。

 

 

 

直すべきところは直し、

 

まねるべきところはまね、

 

しかし 基本的に 自分を もう一段深く しっかり持って居ようと思った。

 

自分の強さを外に表現する必要はなくて

 

ただただ 内面が誇り高くあれば 大丈夫だと 思った。

 

環境に振り回されない。

 

不安に振り回されない。

 

 

 

 

 

一番しんどかった時に

 

未来の自分を召還した。

 

なにごとも そのうち時間が解決して慣れるから、 と言っていた。

 

 

 

 

自分はいま 目の前の出来ることを淡々と。

 

 

キッチンを遠慮しながら使う時期を経て、

 

家事の一つ一つが尊く感じるようになった。

 

水を取りに行くのも遠慮する時期を経て

 

水が自由に飲める環境を 尊く感じる。

 

ひとつ一つの解像度が上がっていく。

 

いやおうなしに 新しい自分へ生まれ変わろうとしている。

 

 

 

総じて、とてもいいことのように思う。