中学受験をした。
そもそものきっかけは、兄が中学受験をして中高一貫校に行っていて、
何となく楽しそうだったから。
兄が中学受験をしたのは、
父親が出身大学に対する母校愛がつよく
自分の母校の系列の学校に是非通わせたい、と思ったかららしく、
親のエゴだな〜と思った。
ただ、運良く兄本人にも塾が合っていたので、
案外兄は楽しかったそうだ。
結局、父の母校の学校には行かなかった。
中学受験に足を踏み入れたのは、私もしてみようかな〜という 軽い気持ちの一言でだった。
でも、始めてみたらすごく大変で、すぐに辞めたくなった。
辞めたいと親に言ったら 「今更何言ってるの!自分で始めたいって言ったんでしょう!」と
すごい剣幕で怒られて、やめられなかった。
理不尽さに絶望した。
今思えば、入塾金やら教科書代やら、塾通いのサポートやら、
すでに結構なお金と労力を費やしていたんだと思う。
多分今の私が親なら、怒りたくなる。次男とか特にいいそう、怒る様子が想像できる笑。
だから、子どもに期待して頑張りすぎちゃ~いかんのだよな、と思う。ほんとに。
お互い良いことない。
3年のときに 兄の友人から教科書などを借りて勉強が始まり、
(母のスパルタ指導で号泣、母の力の入れようと言ったら父も兄も手が出せない雰囲気だった)
4年の時に よくある大手の塾に入る。
週3日の塾通い、空いてる日は自宅で復習、日曜日はテスト、テストの順位で翌週の席順が決まり みな一喜一憂する、その繰り返し。
永遠に続くかのように思える 休みないループ。
私は母の方針で、たくさん寝かせてもらっていただけ良かったのかなと思うふしはある。
睡眠時間のとれない子供もたくさんいた。
4年の時はまだのんびりしていたが、
5年、6年と年次が上がるにつれて
忙しさとプレッシャーが増し 子どもたちの顔から笑顔は消えていた。
6年の夏に、今思うと あれはうつ病の発端だったのではないかと思える 精神状態になった。
良いことは何もない、とにかく2月の試験が終わるまで、耐えるしかない。
何も楽しみはない。
6年になると 母の緊張感はますます高まり 家庭は戦場のようだった。
2月の本番の試験前日、理科ができない私に発狂して 「あんたなんかどこにも受かんないわよ!」と泣き叫んだ
母の様子を忘れない。(多分 本人は忘れているが)
言い表す言葉を知らなかったが、
ただただ 大人は理不尽だな。 というのを深く感じた。
試験は無事に合格して、
3年ぶりに、渇望した自由が訪れた。
放課後に遊ぶ時間がある。 どれだけワンピースを読んでてもいい。
たしかにあの時間は、幸福だった。
でも、それを以って 「頑張るとあとで幸せになるよ」とかいうのは ちょっと違うと思う。
受験生活を通して 父が優しく算数を教えてくれたのが分かりやすく 論理的思考への興味が芽生えたのが せめてもの救いだった。
子供時代ずっとそうではあったが、特に中学受験では 私は母の操り人形だった。
すべての学習計画と生活の計画は すべて母が完璧に組んでいた。
私が学校に行っている空き時間、母はその計画に全力を費やしていたのだという。
兄の時にはよくわかっていなかった分、その時得たノウハウを私につぎ込んでみたかったのだという。
その分、思うようにいかないと半狂乱になった。
成績はだいたい良かったので、成績だけを考えると 母は優秀な家庭教師だったのだろう。
中学受験が終わったら燃え尽きちゃって、
あとは子供たち自分でやって、という態度になってよかったが、
やはり自分の水準に達していないと機嫌を損ねるのであった。
ほんとに親は勝手だ。
勝手に「やってあげて」、疲れたら「こんなにやってあげたんだから何か見返りは?」とか「あとは自分で同じくらいやってよね」とか。
子供に頼まれたわけでもないのだ。
中学受験業界そのものが 親を狂わせる面があると思う。
多額のお金をつぎ込まされる。
否応なく、この子に頑張ってもらわねば と思う。
常に毎日毎日 競争させられる。
スタッフ一体となって 謎の高いテンションと熱気に親子は巻き込まれる。
第一志望に合格しなければ、チャンスは一回きり(小学生に浪人はないから)、という焦りが前を見えなくする。
まあ、それに巻き込まれる、というか
そもそも中学受験しないと 公立では何となく心配、 と
何となくでその業界に巻き込まれる時点で
何か 世間の波にのまれているのかもしれないが。
親子関係にいろいろあるのはしょうがないが
それでも中学受験業界に入るのは
ほんとに慎重になったほうがいいと思う。
競争が大好きでエネルギーにあふれている子なら 発散の場として 別にどんどんやればいいと思う。
親の意志で、とか 操り人形タイプとか 将来への不安に駆られて とかは ほんとに辞めた方がいいと思う。
食い物にされる。
百歩譲って 信頼できる先生がやっている 個人塾 とか。
なるべく あの業界の大きな渦の末端で 自分のペースを保ってやるのが一番よいように思う。
塾には大好きな先生も 尊敬できる同級生も 良い思い出もあるけれど。
あの業界が好きになれないのは どうしたって変わらないと思う。
まあ、国民と親の金を食いつぶし 色んな人の協力をただただ受けて 恵みを享受した
世間知らずな子供が言うことでもないか。
一番の問題は わたしが受け身だったこと そして無駄にプライドが高いこと なのだから。
思春期以降、結局それがもとで いろんなことがこじれてた。