膿を出すなら

 

やっぱ昔のことを一回全部書こうかな~と思う。

 

言えなかった悪口を出し尽くして 終わらせるために。

 

 

 

父は研究職のサラリーマン、母は専業主婦、5歳上の兄が一人 の家庭で育った。

 

父は 詳しく書けないけど 多くの人からお金を巻き上げ つねに一定数の人から憎まれてるような大企業で働いてた。

 

うちはそのお金の恩恵で暮らし

 

私や兄は そのお金の恩恵で 中学受験したり 塾に通ったりと お金に不自由なく育った。

 

お金の出所を深く考えることもなく。

 

その出自の時点で どんだけ私が良い人ぶっても しょせん 良い人ごっこで世間知らずの甘ちゃんであり

 

多くの人の恨みと犠牲を養分にして 育ってきたことが分かる。

 

スケールは全然違うけど 政治家の娘と似たような構造だ。

 

 

 

父は仕事はバリバリやってたけど 

 

プライベートは アル中で精神疾患だった。怖いから、と言って医者には行ってくれなかった。

 

優しかったけど だいたい情緒不安定で 私の手を握らないと寝られなかった。

 

息子のようだった。 父親の顔を見せてくれるのは ほんとうに珍しかった。

 

家では失敗ばかりで 母に毎日責められていた。

 

酔っぱらったり逆上したりすると手が付けられなかった。

 

その 合唱をやっていた バリトンの声で

 

酔うと全力で叫んで 暴れた。家の外でも中でも。

 

話がまるで通じない 人ではないものを相手にさせられていた。 いつも。

 

歌が上手で、友達はいなくて、趣味は1人で 真空管アンプをいじることだった。

 

 

 

母は完璧主義の専業主婦で

 

つねに自分が女王様で厳しいメイド長 だった。

 

自分の水準に達しない、自分のルールを守らない家族を 厳しく叱責した。

 

わたしが軽い気持ちでやり始めた ピアノや中学受験の指導に

 

わたし本人がついていけないほどのめりこみ 血眼になっていた。

 

子供のころはいつも泣いていたように思う。

 

こどもに意地悪して喜んで、からかうことが愛情だと勘違いしていた。

 

素直に可愛がってくれる時間はあったが、

 

結局 そういう風に可愛がって 素直に慕ってくれる存在をつねに求めていて

 

わたしが成人しても 離れていくことを許さなかった。

 

何か家族に良いことがあると、「私のおかげ」と言って聞かなかった。


正義感にあふれていた。

 

年甲斐もなく私に縋る父から私を守ってくれた。

 

今思うと、きっと強烈で有名だった祖父にそっくりなのだと思う。

 

ピアノと料理がとても上手だった。

 

 

 

兄はそんな両親のもとでも活発なスポーツマン、普通に友達が多い男の子に育ったが、

 

家ではいつも 怒られ役で 道化役だった。

 

成人してから 精神疾患、発達障害を発症した。

 

大人になってから 霊感があるようだということが分かり、

 

スピリチュアル沼にはまった母に

 

いつも霊視をせがまれていた。もちろん無料だ。

 

子供のころは 自分に余裕がなくて 兄となにかを共有しあうことはできなかった。

 

大人になってから、ぽつぽつと 兄と思いを話し合い、

 

色んなことを相談に乗ってもらっていた。

 

 

 

 

家族の結束、というか 両親の 「子どもたちが小さかったころの家庭」 に対する執着が強く、

 

私はいつでも 「素直に言うことを聞き 大人を慕う末っ子」 だった。

 

私がいま何歳で この年なら自分の考えをどれくらい持っているかとか 

 

実家を出たら 当然 実家に尽くすことはできない といったことが 理解されてないように思った。

 

反対意見を言おうものなら 大嵐になったので、面倒くさくて反対意見を言うことができず、

 

結局 そういう中途半端な態度が 後々の自立を妨げた。

 

大人相応に 家を出たり 結婚するとき、 猛反発があった。

 

 

 

父は 地方の旅館の生まれで あまり愛情をかけてもらえず育ち、 成人してからはお金を無心されるような家庭だった。

 

母はやはり 地方の公務員の生まれで 地元や家系の結束がつよく 大変に縛られて育ち、一生 親の近くにいるよう言われていた。

 

そんな二人が 猛反対を乗り越えて結婚し、二人だけで首都圏に出て 

 

親戚も近くにいないまま 二人だけで子育てをした。

 

父は家庭へのあこがれと執着がすごく また自分の精神疾患をどうすることもできず

 

母はそんな結婚の始まりだったから どれだけ嫌でも 結婚を辞めたり落ちぶれたりすることはできないというプレッシャーがあり

 

大人として想像するだに ストレスのすごい結婚生活だったろうと思う。

 

 

 

ここまでいろいろ 悪口書いたけど

 

自分のこどもたちが6歳になろうとする今

 

そもそも 成人まで子供の生活を面倒見て 食べさせて 病気の看病して お金を貯めて

 

そういうことが どんだけ労力がかかり 

 

いま私が健康に生きてることが 愛情以外の何物でないことはよく身に染みている。

 

双子を生んだ後、今 わたしが捨てたら子供たちは死ぬのだ、と

 

当たり前のことをすごく目の前に突き付けられ、

 

10か月の妊娠生活をし、生み、乳児期をちゃんと世話する その行為が

 

行為として愛情なんだと 思い知った。

 

そして今 実家の母は 

私が双子のベビーシッターを都合よく 頼んだりしても ちゃんとやってくれて

 

おかずを届けてくれる。

 

どんだけすごいことかと 思い知っている。

 

 

 

でも、だからこそ、  客観的な大人の視点からあえて離れて

 

子供としての 自分の膿をぜんぶ出さないと、と思う。

 

 

 

私が どうしても今許せないのは

 

母が 自分が精神的に子供であるということを自覚しないで

 

自分が教科書であるとして

 

小さい子供に権力をふりかざし 小さい子供を振り回したこと。

 

今でもそうだ。

 

自分が子供だという自覚はない。

 

 

 

父の精神疾患については、私も通った道で、いかに治すのが大変かというのよくわかるから

 

今はあまり恨んでない。

 

父と母が 人に対しての境界線が無くて 距離感終わってるのも

 

まあ 私がどうこうできることではないので 放っておこうと思う。

 

 

ただ 母のその 自分が子供だという自覚がないことが

 

今はどうにも許せない。

 

小学校の時の教師も、今思うとそういう人がいた。

 

権力をかさに着る人。

 

 

きっと、 そのうち 私自身がそうだと気付いて 落ち込む日がくるのだろうなあ。

 

ていうか今 わたしもおなじことやってる。





それからもっと深く怒っているのが、


両親が自分の行いをさておいて 現状や子供のことを嘆いてたこと。


複雑な家庭状況で 子供は日々生きるのに必死で のびのびと能力を伸ばす暇とかもなかったとか 


首都圏の住宅街で生まれ育ち 自然もなく 昔の地方とは全然違う環境なのだということがわからず、


自分が子供の時できたことを 子供ができないと 馬鹿にするとか 

(「教わらなくてもこれくらいできたわよ!」 とドヤ顔するのだ、

母のルールを外れると許されない 逃げ場のない環境で 教わらないことをやれる余裕なんか あるはずないのに)


山育ちの自分の足の速さを自慢するとか


ここは山が見えないといって嘆いたりとか

地元の方がみんな優しいって文句言ったりとか

(だったら東京出てこなきゃよかったのに)


これくらい普通分かるよ、もっと世の中に興味もて と自分のメンタルの調子が良いときには 普通の大人のふりして諭したりとか

(お前がまず普通になって 子供が安心してお前じゃなくて世の中に興味持てる環境作れよ)


なんか本当に 勝手な大人だなあと思う場面が度々あった。



で、やはり私も同じようなことしてるのだろうな、こどもに。と思う。




 

 

 

だから、「いろいろ言うけど 私なんて大したことないんだから」 とプライドを捨てなきゃいかんのだよな、と思う。

 

プライドがあって、本当はできないのに できるふりをして、

 

でもやっぱりできなくて 子どもにしわ寄せがくる。

 

同じパターン。

 

プライドを捨てて 周りの人に頼ったり 諦めたり ばかになれば

 

子供に迷惑をかけることはなかったのに。

 

私も、母も。

 

 

 

 

まあ、そんな感じで育ち

 

私は 内気で引っ込み思案な子供だった。

 

いじめられることもなかったが 特別可愛がられることもなく

 

ただなぜか 小学校の勉強はできて

 

プライドが高いためか 友達は多い方ではなかった。

 

何となく、友達のグループの端っこには入れてもらっている感じだった。

 

 

 

3年生から準備し、4年生になって中学受験の塾に入った。