上記ブログでは、アルコール依存症患者と家族とのコミュニケーションについてメモした。


昨日は、このようなブログも書いた。
 



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私には老人性うつを患う姑がいるが、自らの意思で老人ホームに入居してくださったことは本当に感謝している。それでも、姑もまた認知症にいつなるか分からないという不安がある。

そういうわけで、私は認知症サポーターの勉強会にも何度か参加したりして、少しでも情報を得ておこうとつとめてきてはいるが、今回は、認知症患者を支える家族について、家族療法的視点のメモをしておく。


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メモ

認知症とは、ある時期までなんら問題なかったはずの獲得能力が低下することで、これまで当たり前のようにできたことができなくなる慢性疾患である。

認知症を主に診てきた「認知症の家族支援」の項目の記述を担当した医師である筆者の診療所データでは、自分の認知症に薄々気づき悩んでいる人は約72%いたが

一方で認知症である自分を全く認めない人々も存在し、周囲のアドバイスにも関わらず、いつまでも自らの症状を認めることがない人は28%だった。

ところが、筆者がある地域を対象に行った調査では、認知症への自覚がない人が70%を超えていた地域もあった。


言い換えれば、認知症は単一の疾患ではなく幾つもの診断基準を満たす疾病群の総称であるために、

病識の有無を巡って全く異なる疾患であるかのような対応を求められる。


病識があり、心に傷を持った存在に対しては、その人の辛さに共感を示しながら、ゆっくりと訪れる対象喪失に向き合う人に伴走していく姿勢が求められ、本人と家族の心に寄り添う必要がある。


一方、病識を欠く人の場合には、本人への共感はむしろ支援の妨げになることもある。

本人の心を逆なでしない関わりをしつつ、それ以上に支援者は家族の心に寄り添いながら心情に共感する必要がある。


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家族支援の具体的な対策として、

大都市圏の中心部や寒村においては地域包括支援センター「家族の集い」を開催しようとしても、その地にいるのは独居で高齢となった認知症の本人だけになってしまい、郊外に住んでいる家族とは疎遠になった孤立例が増えてきた。

また、自ら認知症のために事態が認識できず、周囲から支援を申し出られても、それを受け入れようとしない、セルフネグレクトもある。


介護家族が遠距離介護を続けていることも増えた。


そのような状況にあっては複数の家族が寄り添って理解しあう形態での家族支援が極めて難しくなりつつある。

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一方、
認知症患者に同居家族や近所に住んで認知症患者を介護しているお子さんがいる場合、

中等度になった認知症の人に物盗られ妄想などが出始め家族が困ったことになる!

このような時、「家族会」によって知り合い、集いに参加するうちに情報提供を受けて、認知症とはこのような経過を持つ疾患なのかと理解が深まり、複数家族の定期的な集まりを通じて、介護で辛い思いをしているのは自分だけではないと共感的にお互いを支え合うといったことが期待できるはずであったが、

上記に書いたような「患者本人の孤立」「セルフネグレクト」「遠距離介護」などによって

近年の認知症を取り巻く環境は、「家族」という社会単位の存在自体を破壊しつつあり、「家族の集い」を開きたくても人が集まらないから開けないケースが増えている。


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そんな社会状況であってもやはり、家族を支援することこそが、認知症の人自身の支援に引けを取らないほどの精神的効果があることが分かっている。

家族支援によって、介護家族のイライラした感情表出が高次から低次に移行することで、混乱している認知症の人自身への家族からの影響が減じるにつれて、多くは昼夜逆転が大幅に改善されたという臨床観察データも得られている。


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ここからは教科書には記載がない私の個人的な考えだが、「家族の集い」を開くことすら困難になってきた現代では、こうして自らブログを書くこと、あるいは書かなくても読むことが、家族支援の役割に取って代わるのではないか?と考える。

既に多くの人が認知症の親の介護日記をブログにしたためているが、

これこそが、感情を表出してストレスを吐き出せる場であったり、頭の中を整理出来たり、「大変なのは自分だけでは無い!」と思えたりする。


ブログの世界が、同じような経験を持つ者同士、励まし合い、他の家族にはどのようなケースがあるのだろう?…と、情報が得られる場になっていくのを期待する。


そして、他人の介護ブログを読むことで、自分一人で抱え込むことは患者の為にもならない…ということに気づき、孤独な介護者が、他の親族や、頼れる親族がいないなら社会の支援機関に対し、ヘルプを求めるきっかけにブログがなればいいと思う。


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認知症ではないが、老人性うつで1人で部屋にいられなくなり家事も出来なくなっていた姑が1年半前に老人ホームに入居するまでの何ヶ月もの間は、

私の夫が昼間は自営の仕事をしながら、デイサービスの送迎も拒む母親を自分の車でデイに送迎し、姑宅に泊まり込んでもいた。

その代わり、週末は夫の叔母さんが夫と交代してくれ、夫は自宅に戻ることが出来た。

平日は、毎月休日が違うシフト制の仕事をしている夫の妹さんが、こちらから頼まなくても自ら進んで夫と交代してくれた。

自分たちも介護に入ることでその大変さを知り、長男夫婦だけに任せておくのは、長男夫婦が大変過ぎて潰れてしまうから無理だと分かってくれたのだと思う。

何故なら、当時の姑は赤ちゃんのような後追いまで起きており、部屋の中に他の人が居ないと耐えられなくなりがちな症状まで出ていたからだ。

私はというと、もう1人のうつ病だった義妹の世話もあったとはいえ、やはり実の親とは違い姑のこととなると心理的ハードルは上がってしまい、1人で姑宅に宿泊して、一緒に入浴して身体を洗ってあげることや、同じ部屋で寝てあげることには抵抗があった。

その代わりに夫が姑宅にいる日は自宅で作った料理を姑宅まで運んで夜を一緒に3人で過ごし、姑の病院付き添いとかも担当していた。

こうやって親族が一丸となって姑を支えた。

姑が自ら老人ホーム入居を決断してくれた理由のひとつには、そういった中で、誰1人姑と同居して暮らせる人はおらず、通い介護でさえ疲れて限界が見えてきた親族たちの姿が、姑にも見えてきていたからだろうと私は推察している。

ショートステイは絶対に嫌と思っている自分が、家族を縛り付けることによって、家族は旅行ひとつ出来ない状況は宜しくないと思えたようだ。

美味しい料理が毎日提供され、入浴見守りもあり、看護師さんも常駐し、スタッフも必ず24時間いてくれる老人ホームは、こうした自分にはピッタリな場所だったと、随分回復してきている現在の姑は話している。

最近も、何年かぶりに旅行にも行く気になってくれた姑と、食事は椅子席を用意してくれた部屋出し、メンタル的に大浴場にも行けないから部屋に掛け流し温泉風呂があるというプラン限定だったとはいえ、私含むお子さん3人と叔母さんの6人で、1泊旅行もしてこれた。姑もとても楽しそうで「また連れて行ってね」と夫に頼んでいた。












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認知症家族も、老人性うつ病家族と同じだ。

きょうだいが複数人いても、私の父親のときのように、親元近くに住んでいる人が介護の中心的担い手にならざるを得ない。

また、結婚している場合は、配偶者への配慮もあって、認知症の親を引き取ったり、配偶者と別居して親の家に入るということはなかなか難しい。

きょうだいの中でも、親と同居してきた独身の人、あるいは離婚や死別などで配偶者がいない人が親と同居して、認知症の親を1人で看ているケースも結構ある。

その介護者は何も娘さんだけとは限らず、息子さんが1人で親の面倒を看ているケースも多くある。


中等度の認知症で自分の病識がない親は本当に厄介で、デイサービスに行くのも嫌がる人も多く、一緒に暮らす我が子に気を休める時間すら与えてくれない(>_<)

それどころか、「なんであなたはそんなこと言うの?」と世話してくれる子に敵対して攻撃してしまい、介護者を苦しめる事もある(>_<)  


もっと認知症が進行してくれれば施設に入ってもらえるのに…とすら介護者は考えるようになり、悪化するその時を待つまでになってしまうが、先の見えないトンネルに、介護する人の方が先にうつっぽくなっていく(>_<)


本音は、たまにはきょうだいに、親を1週間でもいいから預かってくれないか?

とか、

たまには自分も外泊して息抜きしたい。その間だけでも誰か家に来て親を看ていてくれないか?と思うが、いざとなると遠慮して親族に頼めない介護者も大勢いる。

ショートステイすら拒む親もいるから、その場合は尚更、自由が介護家族から奪われていく。

だからこそ、介護の中心的担い手になっていないきょうだいは、介護の中心にあるきょうだいに対し、労いの言葉だけではなく、可能ならばだが、実際に行動に移して交代しあうくらいのサポート体制に持っていくことを真剣に考えてあげて欲しい。

認知症の親が旅行に行ったことすら直ぐに忘れてしまってもいいではないか…旅先には車椅子だって用意してある施設が多い。

まだ旅行が可能な状態のうちならばだが、介護の担い手になっていないきょうだいで無理のない旅行計画を立ててあげ、認知症の親にも楽しい時間を提供するのも悪くない♪


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うちの実家の場合は、私の兄には仕事があり、姉は遠方在住で、実父の介護は同じ市内に住んでいる私が担うしかなく、きょうだいの援助を得ようとも思わなかった。

それでも、認知症だった実父が再婚相手の奥さんと一緒に老人ホームに入居してくれたから、兄や姉の助けが無くても1人で頑張れたのだと思う。

それでも、私に感謝してくれている兄や姉の気持ちは伝わってきていたから私も頑張れた。

これが、まるで当然のような態度をされていたら、私の気持ちもまたもっとストレスフルで違ったものになっていたことだろう…


介護に日頃関わっていない親族が、感謝の気持ちを十分に伝えることもまた、介護家族への支援のひとつなのだ。


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こんな記事も見た。


要点だけをまとめると、

仕事(ビジネス)をしながら親などの介護(ケア)をする、いわゆる「ビジネスケアラー」は、現在約300万人以上

その多くは、老親のケアに悩みながらフルタイムで働く中高年、現役世代のビジネスパーソン。

第二次安倍政権が“介護離職ゼロ社会”の実現をブチ上げたのは2016年の秋。企業への介護休業制度の法定義務化が話題になったものの機能不全に陥っており、毎年10万人もの介護離職者が増え続け、360万人もの人々が介護のために会社を辞めている。

認知症の親がいる相談者の悩みのうち、
3大ボトルネックは、

(1)予算内で賄える介護施設の確保
(2)精神科病棟の確保(精神救急を含む)
(3)財産管理および財産承継の手続き……

介護離職に追い込まれる直接的原因は主にこの3つ

この3つとも、社会福祉士の得意とするところ。

多くの社員とその家族を抱える企業の人事・労務部門は、社会福祉士の活用によって、本当の意味で社員と家族を守る会社を目指し、介護離職ゼロを実現してほしい…

という記事だった。



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認知症が原因で、家族などが警察に捜索願を出した行方不明者は、2022年に全国で1万8709人に達しました。

大半は見つかるとはいえ、行方不明のままだったり、お亡くなりになって見つかるなどのケースも少なからずあります。

各自治体ごとに、行方不明になった認知症の人を捜索するSOSシステムが設けられてると思うので、認知症家族がいる方は、事前登録の検討をお勧めします。



(例 名古屋市)