3月21日の「世界ダウン症の日」を前に報道されていたのは


昔はダウン症の人は体が弱く長生きできなかったのが、医療の進歩で60歳くらいまで生きられるようになり、ダウン症ご本人だけでなく、支える家族にとっても初めてのフェーズに入ってきている…という内容だった。

 


ゲストに「にしおかすみこ」さんが招かれていた。


にしおかすみこさんはその昔 女王様キャラでブレイクした芸人だが、実はダウン症のお姉様がいて、自分も介護世代に入ってきた今、アルコール依存症だった父親が亡くなった後は、認知症の母親とダウン症のお姉様と一緒に暮らしているというご自身の経験を出版されている。

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にしおかさんによると、家族の中で、ダウン症のお姉様が一番優しいのだと言う。認知症の母親のことでキーとなっていると、「線路は続くよどこまでも」を歌ってくれるお姉様。「線路は続いてたまるか(苦笑)」と言いながらも、そこに救われてもいるとのことだった。

 

自分も2人の世話をするかどうかを逡巡する中で、母親とダウン症の姉が2人で暮らせるようなグループホームがなく、家族の世話と自分の幸せを考えたときに、自宅で家族を支える決断をされたらしいが、現在も自分の幸せと、2人の幸せとのバランスを考え続けているという本音語りをされていた。

 

 

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番組の中では、2組の家族を追っていた。

 

一組目は、健常者の独身だったお姉様とダウン症の妹。お姉様は、両親亡き後、妹の面倒が自分の肩にかかってくるということは分かっていた。


グループホームに入ってもらうことも検討したが、自宅で過ごしたがる妹だったのもあり、2人で暮らす道を選んだ。

 

お姉様にも若い時は結婚話もあったが、相手のご両親が遺伝検査を要求してきて、ダウン症の妹がいることを否定されたような悲しみに襲われ、その人とは結婚しなかったという辛い経験も涙ぐみながら語られた。

 

週に2回は作業所に向かう妹さん。そこには、姉のことが大好きで慕う妹さんの姿があった。

 

お2人は、ダウン症の人が長生きするようになり、「自分が死んだあとどうなってしまうのだろう?」という若い世代のご両親たちにも、大丈夫よという安心感を持ってもらいたい…ということで自分たちの暮らしぶりを発信し、家族交流会を重ねていた。

 


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にしおかすみこさんも、このお姉様も、自身の幸せとダウン症のきょうだいの世話の狭間で、揺れる気持ち、悩む気持ちと葛藤しながら幸せを探しているという正直な気持ちを語られているのが印象的だった。

 

 

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番組の中では、もう一組、ダウン症の妻と知的障害を持つ夫というご夫婦の生活も追っていた。


ダウン症の妻は美味しい料理を作って夫の弁当も作り、夫はベテラン作業員として職場で活躍をされていた。


妻の父親からは結婚を反対された過去があるけれど、2人は結婚できたことが何よりも幸せなことだったと笑みを浮かべていた。

 

 

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障害者が家族にいると、親亡き後の世話はきょうだいの肩にかかってくるという現実に、健常者として生まれたきょうだいは、どう向き合っていくか…



私にも、日本脳炎から脳性麻痺になった従兄がいた。その親戚の家は母子家庭。


私の母親は、自分の姉の脳性麻痺の子を真剣に引き取ろうとしていた時期もあったが、結局、伯母さんが我が子を手放さなかった。



従兄がいっとき、障害者施設に入っていた時は、その施設に、私は自分のお年玉を母親と一緒に寄付に行った。



盆、正月には親族が集まり、脳性麻痺の従兄とは楽しく遊んだ記憶しかなかった。



ある日、脳性麻痺だった従兄は、双子の兄と喧嘩したあと、線路に飛び込んで亡くなった。


罪悪感に駆られた双子の従兄はどれだけ辛かっただろうか!


罪悪感と辛さが母親への暴力になって現れ家庭内暴力が始まってしまい、伯母さんは息子との別居を決意した。


そのことをめぐって、深刻な様子で話し合う母たち親族の様子を子供ながらに見ていて、双子の弟を失った従兄の辛い気持ちと、息子を失った上に残された息子の暴力に悩まされていた叔母さんの大変さを思い、子どもながらに心を痛め辛かった記憶が蘇る。



3人の子のうちの1人が日本脳炎で脳性麻痺になり、子が赤ちゃんの時に夫との死別があり、母子家庭で子達を育てて行く中で、きょうだい喧嘩の末に子を失い、残された子の家庭内暴力に苦しむなんて……



子どもだった私でさえ、なんで伯母さんにばっかり苦労が次から次へ舞い込むのだろう? と、その不条理さに心を痛めていたのだから、祖父母や母たちきょうだいは、どれだけ心を痛めていたかということを考えたりする。



そのいっとき荒れてしまった従兄も大人になって落ち着きを取り戻し、結婚し、子ももうけて、伯母さんは息子夫婦家族と長く幸せに暮らした。


その伯母さんも何年も前にお亡くなりになった。



その伯母さんのお葬式のときに、私は父と同行した。父が親戚の名前を忘れていて、帰る家も間違えるという、大きな変化に気づいた日でもあった。


その認知症になった父も亡くなり、父親の再婚相手も昨年お亡くなりになった。



きょうだいの数が多かった親達世代


私も、祖父母たち、おじ、おばたち、自分の親たちというように、多くの身内のお葬式に列席してきた。



人々が自分の上を通り過ぎていく


この歳になると、そんな感覚になる。



人は必ず亡くなる。自分もいつか必ず自然に帰る。



人生は山あり谷ありと言うけれど、本当にそうで、平坦な人生を送れる人って、あるんだろうか… と思う。



だからこそ、今日のこの平凡な1日が、当たり前ではなく、有り難いことなんだ…


と、感謝する気持ちがわいてくる。



今日はそんなことを考えた1日だった。