私の実家の場合は、昨年、両親だけでなく、父親の再婚相手の奥さんがお亡くなりになったタイミングで、子の手により墓じまいを済ませました。
 
 
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一方、
夫の実家は舅が次男でしたから新家(しんや)です。
 
新家とは分家のことですから、もともとお墓を持っておらず、姑が以前住んでいた近所の檀家になっている寺の納骨堂がお墓代わりになっており、舅の大き目な骨壺を安置しています。
 
京都の本山か、地元の別院に納骨する予定の小さいほうの骨壷は、我が家にまだ置いたままです。
 
 
宗派、あるいは地域による違いがあるのでしょうが、本願寺では納骨する時期はいつでもよいとされていて、姑が面倒がって納骨をしないままできてしまったからです。
 
 
現在の老人ホームに居る姑は、夫の供養も我々息子夫婦任せで、「夫の法事も今後 自分は出席しないから子どもたちだけで済ませて欲しい」と言っており、
 
「自分が死んだら、夫の骨と自分の骨を、同時に別院か京都本山に納骨してくれればいい!」とも言っています。
 
 
「なんでお義母さんは、お義父さんの法要に出たくないの?」と質問したら、「死んだら無よ」と言いました。
 
「なら、なんでお義母さんは今までお父さんの法要をやってきたの?死んだら無だとは考えておらず、亡き人の魂があると考えているから法要も執り行ってきたのではないです?」と質問したら「お寺さんに対する体裁の為にやってきただけよ。世間体!」という返事でした。
 
 
檀家先は、1年ちょっと前まで姑が住んでいた自宅近くにあるお寺さんですが、その地を離れ老人ホームに入居した今は、お寺さんの顔色を見る必要もなくなり、夫の供養もどうでもよくなってしまったようです。
 
 
このような姑のことを「あらら泣き笑い自分なら夫の供養を息子たち夫婦任せにするなんて考えられないわあせる」とは思いますが、
 
 
余程信仰深い人以外は、日本人の大半が、葬式仏教としてのお寺様との関わりをしてきているだけで、仏法や経典の意味を理解しようともしなければ、心に響く聞法を聴く為に寺に日頃から足を運ぶ機会すら持ってきていない人もかなり多く、姑もその1人というだけのこと…とも思います。
 
そう考えると、
案外、姑は正直なだけのような気もしますにやり
 
また、老人性うつが姑を我がままにし、やりたいこと以外したくない…という心境にさせてしまっていることも理解してあげないといけないのかもしれない…真顔
 
なので、少し呆れますが、姑を責めようとは思いません。
 
 
私自身は幼い頃から少し信仰深かった母親について別院にも行っていたし、亡き母に導かれるように、この歳になって初めて仏教の教えそのものに関心が芽生え始めているという個人的な事情があるだけなので、姑に自分の考えに同調してくれとは望まないのです。
 
ついこの間までの私もお経の意味ひとつ分かろうとしないような葬式仏教との関りでしかなかったのですから、人のことは言えませんニヤ
 
 
むしろ、こうあらねばならぬ!と自分たちの信仰心や拘りを嫁に押し付ける人が姑だったほうが、余程窮屈でやりにくいかしれないですえー? 
 
 
信仰は個々人のものであり、信仰心を持つもよし、持たぬもよし、好きにするのが私は風通しがよくて好きかな…   
 
 
別院で聞法の機会を得ると、檀家制度に甘えてきた仏教界のあり方自体を住職たち自身が反省し、もっと仏教の教えそのものを広めなければならない…という危機感を抱いている仏教関係者たちが少なからずいらっしゃることも分かってきました…
 
 
 
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供養について話を戻すと、
我々夫婦の場合は、夫婦揃って「京都の本山」 「近くの別院」に納骨してもらう心づもりでいます。
 
私の場合は仏教に関心があり、別院に足を運ぶ機会も増えて手を合わせに行ってますから親たちのお骨を別院に納骨していてよかったのですが、
 
義理親のお骨はどうでしょう?多分、親が亡くなったら我々夫婦は檀家を離れます。そして別院で法要も頼んでしまうと思うので、やはり別院に納骨するほうが都合がいいかもしれません。同じ市内と近郊に住む義妹たちもそれを望むでしょう。
 
ただ、自分たち夫婦のお骨は、息子たちの状況を考えると法事をやっていってくれることも期待しないですし、京都観光ついでにお参りしてもらえる京都の本山に納骨するのがいいのかもしれません……🤔
 
 

 

 

 
 
けれど、私が長生きして夫が先に逝った場合は、夫のお骨は別院に納骨して、私は頻繁に手を合わせに行きたくなると思います。
 
これらのことを決めることは、我が家に残された宿題です。
 
 
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これからの時代は、家族葬になっていきますから、実家の宗派に拘らない人も増えそう。
 
そもそも、友人と話していると、夫の実家の宗派そのものを知らない人も結構います。
 
 
夫が長男ではなく、喪主になったり法事を取り仕切ったりしたことがないケースでは、夫の実家の宗派について無頓着になってしまうのも、分からないではないです。
 
 
跡取りでなく親の葬儀でも喪主にならなくて済むような次男、三男さんは特に、自分たちは実家の宗派に合わせなければ…という考えそのものがないケースもあるようです。
 
私の姉の嫁ぎ先のケースがそうでした!
 
姉の関東在住のお義父様が一昨年亡くなりました。
 
お義父様は次男さんで、ご高齢だったお義父様のきょうだいも他界してしまっており、お義父様の葬式に出るごきょうだいもいませんでした。
 
仮にごきょうだいが他界してなくても、高齢で特に遠方の葬儀列席なら、出席そのものをご辞退するきょうだいも増えてきますよね。
 
なので、姉のお義父様の葬儀は、妻と子どもたち家族のみで執り行う家族葬でした。
 
お義母様は「夫の実家の天理教は嫌だ」と言うので、私の姉が「禅宗よりもお布施も安めで供養が楽な、私の実家と同じ浄土真宗はどうですか?」と提案し、浄土真宗の姉の実家と同じ宗派のお寺様を葬儀屋から手配して頂きました。
 
姉の夫は長男で、姉夫婦は関西在住ですから、関東の別院への納骨をやめて、京都の本願寺の大谷祖廟に、昨年、納骨を済ませました。
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姉が後悔したのは、お義父様は次男だったからお墓はないし今後も建立する予定もないのに、葬儀屋に提案されるまま骨壷を大きいのと小さいのと用意してお骨を拾ってしまい、大きい骨壷のお骨の処遇に悩むことになってしまったことです(>_<)
 
その件については、京都の本山に相談し、少し余分にお金を払って何とかなったようですが、最初から骨壷を小さい物のみ用意すればよかったのです。
 
なので、お墓も作らず、どこかの寺の檀家になる予定もなく、本山か別院に納骨するだけなら、「小さい骨壷のみ」にしとくように!ということだけは子どもたちにくれぐれも言っておかないとマズイですね。