ブログで親の介護の話を書いている人は沢山いるけれど、子側が大人になってから親が再婚し、なさぬ仲の難しさについて書いているブログは案外少ないかもしれないですね💦


そんな過去記事の中でかろうじて少し残してあるブログを、親の再婚で辛い思いをしている人が読んでくださっているケースがある事も最近知りました。


そこで、多くの下書きにしてあるブログを少しだけ読み直して、公開記事に変更してみました。


2018年5月13日に書いたこちらの2つのブログがそれ

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今読み直してみると、2018年のあの頃の事がついこの間の事のように鮮明に蘇ってきます。


綺麗事ではなく、あの頃は本当に親孝行出来ることは幸せな事だと私は思っていたのです。


その後、父の介護を巡って、父親の再婚相手の奥さんからの私へのアタリが強くなっていき、だんだんと感情の糸がもつれて憎悪へと変わっていくなんて、想像すらしていなかったですショボーン


今年の夏に奥さんもお亡くなりになり、ひとつ終わった…という気持ちが私の中で強くあると共に、おおきな重石のようなものが取り除かれた気分と同時に、最後まで和解出来なかった事が切なくて残念な気持ちでもいるのです。


けれども、私は奥さんの幸せを願ってもいました。

奥さんも同様にそういう気持ちもどこかに私に対し持っていてくれただろうと信じたい気持ちでいます。



人間は複雑な生き物で、人間関係においても濃密な関係であればあるほど、好意と憎悪両方を併せ持って生きているのではないでしょうか?


仲の良い夫婦であっても、時に不快感も感じるし嫌悪することだってある。


そうやって生きているのが普通ですが、その振れ幅が大き過ぎて、憎悪に偏り過ぎるとやじろべえのように好意へと戻って来れなくなってしまう時が悲しい結果を引き起こします🥺



私はどこかで、間違いを犯したのだろうか?

今の私がタイムスリップして、当時に戻れたら、私は奥さんの世話を最期の時までしただろうか?


と考えもしますが、


奥さんとの関係も、振れ幅が憎悪のほうに傾き過ぎてしまった結果が「距離を置く」という方法になり、あれしか自分を楽にする方法はなかったようにも思えてくるのです。



こういった後味の悪い経験をしてみて知った事があります。


それは、

一旦距離を置いてしまうと、ほとぼりが冷める事にはなかなかならず、喉に刺さったトゲが抜けないような気持ち悪さを抱えたまま、結構長い年月が過ぎ去ってしまうということです(>_<)


今そういう状況で、親子の断絶が起きている人がいらっしゃるなら、勇気を出して距離を縮める努力は早めにしないと修復する機会を失ってしまうかもしれない…と思います。



とはいえ、無理は禁物!


無理していい子ちゃんになる必要はないと思います。自分の気持ちに正直に、距離を置いていたほうが気持ちが安定すると思えるなら、それも正解かもしれません。


再婚した親には親の生活がありますから、ご自分も今一緒に暮らしている家族、配偶者やわが子という身近な人達との生活を慈しみ大切にと思います。



矛盾した2つのことを書きましたが、どちらも本当であり悩ましいところですが、これが、私からのささやかなメッセージですほっこり



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先日のこと、お寺で、歎異抄の第3章についての説法を聞く中で、善行について考えさせられる場面がありました。


私は親孝行は善行のひとつと考えていました。


特になさぬ仲の父親の再婚相手にも尽くす事は、感謝されて当たり前という不遜な気持ちがあったことは間違いないと思います。



説法の中で、ある住職がこう話されました。


善行を受ける側は、時に後ろめたさに苛まれ、善行を重荷に思うことすらあるから、善行を他者に施す時は、詫びながらしなければならない場面もあるくらいなんですね…


善行を積んでも相手から「ありがとう」と言って貰えないとどう思いますか?


面白くないですよね!? 


善行を施す人はどこかで見返りを求めているのではないでしょうか?どうですか?



この説法を聞いて、私は亡くなった奥さんとの事を考えていた。私が奥さんの攻撃性に耐えられずに離れようと決意したのは、昔のように感謝して貰えなくなったからだろうか??見返りを求めていたのだろうか?


いや違うと思う!  「ありがとう」を言って貰えないくらいで私は奥さんから離れていかなかったはず。


事実、今も私は姑の世話をしているが、義妹たちや当の姑本人から「ありがとう」なんて殆ど言われることはないが、別にそれでへそを曲げて「もうやってあげない」とはなっていないではないか!



なら何故私は奥さんから離れたのか?


答えは明確だ。


それまでも夫の愛情をめぐってライバル心をむき出しにしてきた奥さんだったから、私の父への親孝行という善行に対し、妻の自分が体調不良故に夫の為に動けないという後ろめたさがあったのだろうことは容易に推測出来る中で、


感謝されるどころか、あることないこと悪口を言いふらされ、私からの善意ある行動に対し文句を言われて責め立てられることが続いたからだ!(>_<)



私は夫にも「義妹たちやお義母さんから感謝されなくてもいいけど、文句言われるようなら速攻、あなたたち実子だけでお義母さんの世話してもらうから」と結構強いこと言って脅している💦


文句は許さないという姿勢なのだ(笑)


勿論、姑や義妹たちにはそんな事は言いませんが、

夫も「分かってる。それでいいよ」と言っている。


私もそこまで横柄な人間ではないつもりで、落ち度があれば反省するけれど、落ち度がないと思えることまで悪く言われるくらいなら善行なんて積まない


というか、良かれと思うことでも、文句言う相手にとって全然善行になっていないのなら、やらない方がマシでしょう…という理屈💧‬


そのせいかどうかは知りませんが、夫は私に、例えば姑の病院付き添いしてきた日などは、仕事から帰宅するやいなや必ず「あゆみちゃん、今日はありがとうね」と言ってくれます(笑)




仏教用語を借りるなら、


煩悩具足の我が身



本当の善人に、今の私はまだ当分なれそうにない💦


むしろいい子ちゃん気質を脱却して、もう少し、「いい人になろうとしない自分」になりたいと思っている( ̄▽ ̄;)  


ましてや、偽善者にはなりたくない(笑)