【確執を乗り越えて】
 
実家の奥さんは、私の実母が私20歳の時に他界した後に父が再婚した相手。


所謂なさぬ仲というのは今迄本当に色々あったし
お互い様なのだろうけれど
私も辛い気持ちや悲しみをたくさん味わってきた。

 


とはいえ、再婚相手の奥さんのお蔭で父は幸せだったし
私もお世話になった部分もないとはいえないし
何よりもそれら過去の嫌なことはもう水に流した。
それもお互い様。
 


私には自分の家の家事もあるし、
自営の仕事手伝いもバイトもある。
 

今回の父のことで私はバイトに行く日数を減らした。
 

家庭塾の曜日も変えてもらい
代表を務めるお稽古も皆さん協力すると言ってくれる。
皆さんからの温かい言葉に励まされ今がある。

そして実家の両親のこと、姑のこと
綺麗ごとだけでは済まされないこともあるけど
それでも私には幸福感がある。

 
それは何故か?考えてみた。
 
 
【幸福の源は愛?】

介護現場の仕事をされているブロ友さんが言っていたけれど、それはやはり「愛」があるからだ!
 
「愛」ってクサいセリフだけれど、今の自分の中に在るものはやはり実父、奥さん、姑たちへの「愛」だと思う。
 
「愛」という言葉は美しすぎて
綺麗ごとかもしれない。。。あせる
 
けれど、やはり自分の中に今は親を思う「愛」
が溢れていると思うし、
「愛」を持つことは人を幸福にするラブラブ
 
実際、奥さんや姑の顔色を伺いながらも

こちらは善意でやっていることに乗じて
あまりにも我儘に思えることがあると
愚痴りたくなることもある
ショボーン
 


年取るということは、
若い時の常識が通用しなくなることであり
想像以上に老人は
自分中心の考えに陥りやすく
変化への抵抗
融通が利かなくなる笑い泣き
 
親たちとの関わりは
これら老人特有の特徴との戦いだむかっ

 
 

けれど、この老人特有の特徴を理解することで
親たちも好き好んでこうなっているのではなく
年齢というものがそうさせると思うと切なくなるし
その特徴を我々子どもが理解するように努めれば
「どうしてムキー」と不条理さに腹を立てずに済む。

 

自分たちにも老いは訪れる汗
 



 
「親から愛されたことがない」
と言い切る一人っ子だった人が
知り合い女性にいるのだが、
その人は今は亡き癌で亡くなった実母の介護を通じて
母親が当時寝ていた部屋に入ると
未だに母親を思い出すので、
それが嫌でその部屋には絶対に入らない
と言っている。

 

「このままではあなたがダメになるから

母親から離れなさい」と医者から言われて

介護は夫や子供になるべく任せたとも言っている。


「死んでくれてほっとした」とまで言い切っている。


だから私のような人に会うと「腹が立ってくる」とも言う。


何に腹を立てるのか?というと


実母が自分を愛してくれなくて
亡くなるまで一度も「ありがとう」
と言ってもらったことがないということに
「あの人はなんであんなに自分に冷たかったんだろう?」
と腹が立ってくると言うのだショボーン
 
私の今の状況に自分がなったら
自分には私のようにはとても出来ないけれど
それでも私のことが
自分のような一人っ子ではなく兄姉がいることと
親たちから感謝されていることが
「羨ましい」を超えて、

自分の親のことを思うと

自分の親に対して腹が立ってくると言うのだ。

 


この人は私よりも少し年上だが、

未だにインナーチャイルドに悩まされ

心にいびつさを持っていて、

幼少期から受け続けた傷に癒されずにいることを

言葉の端々から感じることが多い。

 

 

その人のお母さんは、なんで「ありがとう」が

我が子に言えなかったんだろう?
 

「“ありがとう”さえ言ってもらえれば、

今なお続く苦しみから救われたのに・・・」


と言って、

知人はいじけた気持ちを克服できずにいるショボーン