意味深なブログタイトルにしてしまいましたが、


「エンプティチェアテクニック入門」という著書の中で、著者である百武正嗣先生自身の体験談が書かれていた言葉をタイトルにさせて頂いた。


エンプティチェアについては、以前、ブログでもふれました。↓↓↓

 




著者は、同じ年の同じ月に、3人の親しかった女性を、3人ともがんで亡くしてしまった時のことについて書いている。


お1人は高校生という若くして亡くなった娘さんの親友。お1人は知り合いの看護師さんで幼子を残して旅立った女性のこと。そしてもう1人はとても仲良くしてきた同僚女性の死。


ご自身のやり切れない感情のやり場を、3人夫々にエンプティチェアをして、お別れをした体験談だ。



その中の同僚女性について。


日本で共にゲシュタルト療法を広める活動をしてきた仲間だった。


10年以上も仕事を共にし、指導的立場にあった米国人女性のその同僚は、最後の1年間くらいは、仲間に対して不満を漏らすようになり、なんでこんなに変わってしまったのか?理由も分からないまま彼女は突然引退し、自国に戻ってしまった。


後に、彼女の訃報が届いた。

その時に初めて、最後の1年間くらいはがんが進行していて精神的にも肉体的にも辛かったことを知ることになった。


とても親しくしてきた自分たち日本人の仕事仲間に「私は辛い」と直接言ってくれなかったことが寂しく、あとで「そういうことだったのか」と知ることは、友人として辛く悲しい思い出になってしまった…  と書いていらっしゃる。



それから1年が経過した頃、

著者が太平洋の海を一人で眺めていたときのことだ。


1羽の鷹が頭上の岩にとまり、著者と同じ海の方向を真っ直ぐに眺めていた。


著者は鷹を彼女の姿に投影した。


「太平洋という大海原を見つめていると周囲の国々は「環」で結ばれているように感じる…」というのが、アメリカ西海岸カリフォルニア出身の彼女の持論だったことを思い出し、鷹の姿が彼女の姿に思えたのだ。


エンプティチェアと同様に、鷹(彼女)になりきって会話を繰り返してみた。


そうしていく中で

著者は彼女(鷹)に向かって言葉が自然に出てきた。



「So   long!」(たっしゃでね)


その言葉が届いたかのように、鷹(彼女)はゆっくりと翼を広げて飛び去っていった。


その時、この1年間に彼女に対して感じていた怒り、悲しみ、憤り、不満も海の泡のように消えていくのが感じられた…



親しい人が死ぬということは、こんな感じなのか…


全てが過ぎ去ってしまった出来事になってしまったのだ。もう戻ることのない世界なのだ。


私の身体には海の泡の浮き上がっていった後のピリピリした感覚が残っている。



このように著者は記している。



私も今年の7月に、父親の再婚相手の方との別れを経験した。実母と過ごした年数よりも長い年月を関わってきた父親の再婚相手。


「あなた達の母親になるつもりはない」と宣言し、「夫の孫たちは可愛いけれど、あなた達子どもに愛情なんてもてない」と露骨に言ってのけるような人のことを、最後まで「母」と思うことが出来ず、私の中では常に「父親の再婚相手」としての親族でしかなかった。



我々子どもと大好きな夫の愛情を取り合うかのように、ライバル視してくる人だった。



父が違う人と再婚していたら、私の人生もまた違うものになっていただろうか?…と恨めしく思うほど、その人との関わりにおいては心的困難があり、特に晩年の父の介護を巡ってその方とはことごとく対立した。


それでも、透析患者でもあったその人は、何かにつけ私を頼ってきていた。「頼れるのはあゆみさんしかいない」この言葉に私は縛られてもいた。



父の介護を巡って強く芽生えたその人との軋轢の中で、父亡き後のその方のお世話で父を介護した時のようにガッツリと関わる自信がなくなった私は、


その方が夫婦で過ごした老人ホームから、別の老人ホームへの引越しまでを引き受けた後、そのホームでその方が過ごした晩年の2年間は、その人のお姉様、私の兄や姉にその方のお世話を託し、私はその方のもとから去った。そして結局、他府県に住む姉がメインで頑張ってもらうことになった。



誰一人、その人から去った私のことを責める人はなく、「今まで本当にありがとう」と言ってくれてはいたが、


いい子ちゃん気質の私は「私を頼りにしていた困っている人を見捨てた」という罪悪感のようなものに苛まれ、心についてもっと学びたいと思えるきっかけをその人は作ってくれた。



学びは、多くの気づきを与えてくれた。


その中で、私は徐々に、その方を「見捨てた」という罪悪感から自分を解き放し、自分を許せるようになっていった。



そして不思議なもので、その方を見捨てた途端に、姑のうつ状態が悪化していき、義妹までもががんと酷いうつになって、私を頼ってきた。


姑の生活の世話と、義妹のことでは頼まれるままに毎回病院付き添いをしてそのサポートを頑張れたのも、「見捨てた」という罪悪感を持ちたくないという実体験が背景にある気がする。



自分を守る為とはいえ、「病で困っている人を見捨ててしまった。もう少し自分が人間として出来ていたら、違っていたかも…」という心の痛みもまた、今後の人生に生かしていける自分だけの宝にしていこうと思っている。



経験値は多ければ多いほど、他人の痛みも分かるというもので、今後の人との関わりにおいても、このような後味の悪い失敗をしないようにしたいし、今の、姑含む夫の親族たちとも仲良くやっていこうという原動力に、この「心の痛み」がなってくれている気がする。



海では無いけれど、今いるマンションの部屋のこの席から、秋晴れの青空が目の前に広がっている。



英会話を趣味にしていた父親の再婚相手。


私も著者同様に、


身体の苦しみから解放されて魂だけとなり、天国に旅立っていったその人に、


「So   long!」(たっしゃでね)


という言葉で


青く澄み渡る空に向かって別れを告げた…