少し前のことだが、大谷大学名誉教授であり臨床心理士でもある先生のお話を聴く機会に恵まれた。


とても物腰が柔らかく腰の低い方で、その目は何かを包み込むようなとても澄んだ目をされていた。



先生の話は、ご自身の辛く悲しかった生い立ちを語ることから始まった。


先生は生い立ちを語る時にご自身のことをまるで他人の事を話すように、過去の自分のことを苗字で「○○○さん」と語った。


そうすることで客観的目線を保ち、感情的にならずに聴く者たちに語りかけているようだった。



その少年期の内容は壮絶なものだった。

本当に苦しかったんだね…と胸が痛くなり、かつての痛々しい少年に想いを馳せた。



人生には「起承転結」があるとしたら

先生は青年期においては、ご自分の悲しく辛い生い立ちの「起」の部分を他者には隠し続けたと言う。



先生が臨床心理士として悩みを抱える人に向き合っていると、大抵の人の苦しみは自分と同じく、幼少期からの「起」の物語と深く繋がっていることが多いそうだ。



「この辛かった幼少期から少年期にかけての「起」の部分を青年期になった大学時代も友人たちに語れなかった!…今こうして語れるようになった自分がいて語れるのです!」とも仰っていた。


心底辛い時、人は口をつぐんでしまうもので、語れる場があるということは心の解放に繋がりやすく、その人にとっての一縷の救いとなる。



それくらい、心に刺さった手負いの矢は、一度刺さったらなかなか抜くことは出来ずに、フラッシュバックとかトラウマとして、心に矢を刺したまま大抵の人は生きていく。



けれども、心に矢を刺したまま生きていくのはとても辛いことだからこそ、そこから何とか抜け出そうと人はもがく。



人生に起承転結があるとしたら、転換点の「転」を探し求める中で、大学卒業前に恩師が書いてくれた『人生に学ぶこと』という言葉をお守りのように心に仕舞い、先生の人生の求道の旅は続いていった。



先生は年嵩を重ねていく中で、辛かった過去も何か大いなるものによって采配されてるかのように導かれて今の自分が形成されている事に気づかされたように思うと仰った。



これは、一つ一つの事柄や状況が、それだけでは何の関係も意味もなしていないようであっても、あるとき、それらが一つのまとまりとして、全体的な意味を示してくることに気づくというもので、


過去の辛かったり苦しかったりした経験も全て、今の自分にたどり着くための布置だったと、初めて思うことができたという話をされていた。


布置という言葉を臨床心理学用語辞典で調べると、

個人の精神が困難な状態に直面したり、発達の過程において重要な局面に出逢ったとき、個人の心の内的世界における問題のありようと、ちょうど対応するように、外的世界の事物や事象が、ある特定の配置を持って現れてくること。共時性の一つの現れであると考えられます。

と書いてある。



この布置という言葉は、ユング心理学に「コンステレーション」という概念があり、日本語で「布置」と訳された言葉でもある。


コンステレーションの語源は、元来占星術において、出来事や人の運命を左右する星の位置を意味するもので、後に星座を表す言葉となった。


ひとつのバラバラの星も、線で繋いでいくとひとつの意味がある星座として形成されるという例えが、「布置」の説明の例えとして使われることもある。



仏教にも「安楽ならしむものをもっての故に、星宿(しょうしゅう)を布置す」と書き記している(大乗大方等日蔵経〚化身土巻〛)


大いなる何かに采配され導かれるという、何か目に見えない力に気づくことが安寧の心境にかかわってくると釈尊は考えたのだろうか?



一見、受け入れがたいと思われるような出来事や、思いもかけないハプニングなどで混乱したとき、その渦中にいる間は、そのことにしか意識が向かず、悩んだり迷ったりするのが人間というものだが、


その「辛い出来事」は、より良い未来に向けての、「きっかけ」に過ぎないのかもしれなかったと、後になって振り返ってみて初めて「全体」が見えてくる。


このように、辛かった経験でさえも
「あー、あの経験は、自分の成長にとって欠かすことのできない、大切なものだったんだ。」と、やっと気づけるようになる。



「あの辛い幼少期がなかったら、今私はこうしてここに絶対に立っていなかった。皆さんの前で話すこともなかった。」と、ダルク(薬物依存症からの回復と社会復帰支援を目的とした回復支援施設)のメンバーでもある先生は仰った。