自分のブログはなかなかに愚痴ると言うか、赤裸に書くことも多いブログだな…と自分では思うこともある。

 

ブログで悩んでいることや困っていることも書く理由は、個人の記録として残しておきたいこともあるが、

 

書くという作業は脳内整理に役立ち、新たな発想やリフレーミング(違った視点)が書きながら起きることもよくあり、書く作業そのものにメリットを見出せるのと、

 

書き方次第で人様の役に立つこともあり得るからだと思う。

 

 

けれど、実生活での私はどうか?というと、他人に悩みを打ち明けたり愚痴ることはほとんどなく、本などの力も借りながら1人で自問自答し解決しようとしてしまうタイプだと自分では思っている。

 

なんでそうなのかな~と考えてみたら、どうせ自分の大変な本当の状況なんて他人に分かるはずないと思うので、私が吐いた愚痴で、私の苦労をさも全部知ったかのように思われるのが癪にさわるから?

 

う~ん、それもあるけど、ちょっと違うようなキョロキョロ

 

そうだ、多分、誰かに誰かの悪口を言ったりして愚痴っても、気持ちは晴れ晴れとしないどころか、嫌だった負の感情を改めて思い出したくないというのがある…

 

何も、愚痴らないことが美徳だとか思っているのでもないし、やせ我慢や無理をしているのではない。


友人といるときくらいイヤなことは忘れて楽しみたいのに、大変なことをぐいぐい質問されて聞きだそうとされると、楽しい時間が台無しになってしまうことすらありえるから(>_<)

 

そういうことを結構昔から感じていたので、私は学生時代も母親が末期がんであることをほとんどの友人に話さなかった。友人たちとは無邪気な自分でいたかったし、バカなことを話し、私の母親の病気を知らない友人から気を遣われないことでむしろ救われていた。

 

自分の負の感情を友人などの他人に話した後って、全然すがすがしくならないし、むしろ後味が悪いことすらある経験を若い時から味わったことで愚痴らない自分が出来上がってきたとも言える。

 

 

そのことで腑に落ちる文章を、この『ブリーフセラピーの極意』という書籍の中に見つけた。

 

 

 

 

 

 

一般的にブリーフ( brief)とは、男性用の股下を省略した下着であることから、(衣服が)短いという意味でブリーフ」と呼ばれる。

 

『ブリーフセラピー』とは、長期間に渡って何回も重ねるカウンセリングと違って、短期間で結果を出すことを目指す短期心理療法の一つ。

 

カウンセリングにおけるブリーフセラピーのブリーフは効果的・効率的という意味を持ち、ブリーフセラピストのカウンセリングは1回で終了することもあるくらい短期間での解決を目指す。

 

長くても5回以内でクライエントの一つの悩みの解決を目指す手法で、この本はセラピーやカウンセリングを学んでいない素人が読んでもいいように書かれているが、やはり下地となる知識はある程度持っていたほうが理解はしやすいと思った。

 

 

本のレビューはそれくらいにして、腑に落ちた文章は下記の青字部分

 

 

セラピストがカウンセリングする際に覚えておいていただきたいことは、「気持ち」とか「感情」といった輪郭の曖昧なものというのは、焦点を当てた部分が、どんどん膨らんでいくという特性を持っているということです。

 

「怒り」に焦点を当てたら「怒り」は膨らむ。

「不安」に焦点を当てたら「不安」は膨らむ。

「孤独感」に焦点を当てたら「孤独感」は膨らむ。

 

だからネガティブな感情ばかりに焦点を当ててクライエントさんの話を聴いているのでは、カタルシス効果(簡単に言うと「吐き出しちゃえば、気持ちが軽くなるという効果)が期待されるというよりも、単にどんどんクライエントさんをつらくさせているだけの結果に終わることが多いのです。

 

 

愚痴って吐き出すことで気持ちが軽くなるというカタルシス効果は一時的、持続時間が短いことが多い。そしてむしろ、すぐにまたつらさってやつは貯まってきてしまう(そういう意味ではマッサージ効果と同じ)。つまり治療が長期化する。

 

 

私がブログで愚痴っても、現実世界で知人・友人たちに愚痴らない理由はそういうとこにもあるんだと腑に落ちた。

 

 

だからこそ、悩んでいるとき、大変な中でも上手くいっていることが必ずあるはずで、その上手くいっていることに焦点を当ててそこを膨らませるといいと思う。