韓流ドラマ『今、別れの途中です』を視ていたらこんなシーンがあった
心で泣いて 切なく辛い想いを秘めたまま
末期がんの友人と楽しく過ごす時間
そんな切なく悲しい心情を信頼できる人に吐露した
その人は言った
「別れの挨拶は切なくあるべきだと?
それは固定観念です
去る人の心を軽くするのも 愛ですよ
いろんな愛の形がありますから」
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普段からたまにふとした瞬間に思い出していることを、このシーンを見てまた思い出した
私が二十歳の頃、末期がんで弱っていく母に私は力強く言った
私は幸せになる自信があるよ
幸せになってみせるから…
母は子の幸せを一番に願っていると知っていたからこそ、自分が死ぬことで子を不幸にしてしまうと思ってもらいたくなくて、また、母を安心させたくて
“ (お母さんがいなくても)幸せになる自信がある”
と、そんなふうに言ってみたのだった。
私の精一杯の母への愛の贈り物の言葉のつもりだった。
母はあの時、何も言わずに私を見つめていた。
母は何を思っていたのだろう?
私の母を思う切実な想いは通じていたのだろうか?
それとも、「母がいなくても幸せになる自信がある」なんて言葉は…残酷な言葉だったのだろうか?
不確かな想いだけが私の中に残された…
残された人は
去った人の記憶を頼りに生きる
何も言わなかった母のあの眼差しの意味はなんだったのかと、訊くことも叶わない中で、私は何かの拍子にふと思い出しながら生きてきた…