一つ前の記事の続きです。

まずは一つ前の記事から読んで頂けると有り難く思います。

 

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さて、一つ前のKIri先生のブログに紹介されていた、灘高校出身で岡山大学理学部数学科で学ばれている自称“しがない数学徒”さんのYouTubeの続き

【落ちこぼれ】灘から岡大に行った男の自分語り

というお題のついたYouTubeもとても良かったので、リンクを貼らせてもらいました。是非見てみてください。

 

 

 

 

 

 

 

以下を読み進める前に、YouTubeの方をご覧になって頂けましたでしょうか?

 

 

岡大の教授、素敵な方ですねウインク

 

人は人によって傷つき、人によって救われる

 

 

 

とはいえ、お母様も子どもを苦しめてるのは自分のせいだと自分を責めていないといいな・・と心から思います。

 

そして、数学徒さんは、もう少し大人になったとき、こんなふうに思えたら最高なのだけど・・

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(今にして思えば、株式で言うなら親は投資家、俺は株主の期待に応えて配当を出す企業であり株価そのもの。企業は投資家の為に株価を上げ、成果を出さなければならない辛い立場だった。そんなことを大学生のとき俺はYouTubeで呟いていたが、あの小中学生の日々も、親が学歴コンプだったからこそ子には同じ思いをさせたくないという親なりの良かれと思っての愛情故の言動だったのだろうとも思う。

 

自我が芽生えていない頃の子どもの俺に、親からの期待はきつかったが、灘中学に入ったという結果は俺自身の頑張りの賜物であったし、小学生、中学生でよく頑張ったなとあの頃の自分に言ってあげたい。

 

自分の精神崩壊を親のせいにしてばかりいては何も始まらない。何故なら、親の期待に応えたいと思ってしまって嫌いな勉強を頑張ったのも、勉強することを放棄してゲーム三昧の日々を送ったのも、俺自身が選択したことでもあるから。他人のせいにしていたら何も前に進めない。

 

けれど、大人になった今だからわかることは、灘高校出身という肩書きを生かすことも自分次第だった。それも灘に俺をねじこんだ親のお陰でもあるのだろう。)

 

 

以上、私の勝手な妄想とこうあってほしいという期待ですが、

 

学徒さんの人生が、明るい希望に満ちたものになっていくことを願うばかりです。 

YouTubeを拝見する限りでは、きっと大丈夫でしょう・・・

 

 

 

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一方で、親目線から見るとどう想像するか・・・

 

数学学徒さんのお母様にしてみれば、教育熱心さのあまり子どもに期待をかけ、それに応えようとして実際に中学受験までは応えてくれた優秀な我が子が目の前にいた。

 

この子の為に、親は灘中高一貫校出身というブランドを与え、新幹線代まで支払って無理してでも教育費に投資した。そして自分への高卒という劣等感も子によって穴を埋め、優越感すら得られた。

 

ところが、本人が頑張れたのも中3まで。本人曰く自分は親を喜ばす為に勉強してきたと言い出すようになり、 高校にあがった頃には、それまで張りつめて頑張ってきた精神の糸が途切れてしまい心療内科に通いながら、勉強しない宣言をしてゲーム漬けの日々を送ることになった。

 

私の何がそんなにいけなかったのだろう?

親が出来る子の才能を見出し、期待をかけるのは当然だし、それが辛かったと言われたら、私はどうすれば良かったのだろう?

 

勉強は自分の為にするものよ・・と言ってきたつもりだし、あの子もわかっていると思っていたのに・・・

 

親としての頑張りがあの子をあんなに苦しませてしまったなんて…

 

 

 

多分、こんな感じなのではないか?と想像します。

 

 

ここからもタラレバの考察

 

ならば、数学学徒さんのお母様が子どもに過大の期待をかけるような教育熱心な人ではなく、地元の中学と高校に通わせ、そこそこゆったりとした子育てをしていたらどうだったのだろう?

 

多分、数学センスがもともと抜群だったポテンシャルが高い数学徒さんは、地元で好成績を取って岡山大学数学科に進学出来ていたと思う。

 

途中、地元の公立進学校に進学しても同じくゲームにのめり込む日々は来ていたかもしれないが、それでも周りとの比較において、何の劣等感も持つことなく、地元の人たちにとっては優秀な国立大学の岡大に自信をもって進学できていたような気がする。

 

 

ならば、新幹線通学までして私学の学校に行かせる努力は無駄だったのか?

 

少なくとも、彼は灘高校出身というブランドを一生身にまとって生きていける。そのブランドを生かすも殺すも今後の自分次第という希望があるアップ

 

それでも外にいる人には理解できないかもしれないが、優秀な人の集まりの中にいたからこそ味わう屈辱と劣等感意識は植え付けられ、なかなか抜くことが出来ない棘を胸に突き刺したまま生きて行くのだろうダウン

 

 

そうなってしまったことの原因は何かというと、Kiri先生も仰っているように、勉強を親の為にしてきた心の在り方が如何に危険だったか・・ということに他ならない。

 

 

けれど、彼は立ち直りつつあり、自分の体験を通じて世の中に情報発信を始めている。

 

 

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ここでいきなり話が飛ぶように思うだろうが、アドラー心理学でいうところの本『嫌われる勇気』と続編の『幸せになる勇気』がある。

 

本ではまさに、親が子を褒めることの危うさについて書かれているが、そのことの理由は、子は親から褒められる為に頑張る生き物だからだ。親は子を褒めるな!と本では言い切ってさえいる。

この著書の中で、この部分が読者から最も反発を買うところ。

 

褒め育ての大切さは昔から言われていることではないか?

褒められて嬉しくない人がいるのだろうか?

褒められて人は伸びるのだ!

 

アドラーが言っていることはおかしいもやもや・・・とダウン

 

 

その反発はごもっともなのだが、そういう反論を言う人は、褒めるという行為にしか焦点を当てていないから反発をするのだと私は思っている。

 

私も親は子を褒めてあげればいいと思う。

ただし、褒める時の背景に、ジャッジをするような形で、成績が良い時は褒め、悪い時はけなすというような褒め方をしてはいけないビックリマーク ということだと思っている。

 

心の底から子の才能を認め、1人の人間として尊敬の念を込めて褒めずにいられない場面においてなら、大いに「あんた凄いよ。才能あるかも・・」などと、親ばかになれば良いとは思うアップ

 

 

そして、あなた方の人生は親の為にあるのではなく、あなた自身の為にあるビックリマークと、自分を生きる ことの大切さ を親は子に伝えていくという、そういうコーチでなければいけない。

 

褒めることを、やる気を引き出す為のテクニックだと勘違いして使っても、子どもは褒める人の本音を見抜く。

 

褒めることをテクニックとして使う親に限って、自分にとっての価値観にそぐわないとなった途端に、往々にして子の価値を認めてあげなくなる人が多い気がする。

 

親にそんなつもりはなくても、子どもが親からの期待を重荷に感じ、親を喜ばせる為に頑張ってきただけだった・・と思ってしまったなら、親はその事実を受け止める勇気を持たなければならない。

どこかで子どもへの期待を膨らませ圧をかけてしまっており、言葉がけの仕方を間違っていたのだ。

 

 

親があるべき姿は、我が子が親の価値観に沿った出来る子だから愛するのではなく、子の良い所をどんな所でもいいから見つける天才であるべきだ。

 

子を追い詰めてはならない。

 

まさにそういう意味での

 

親バカ万歳!  なのだ

 

 

子どもの幸せは優秀さに関係なく

心から子の存在そのものを認め、存在そのものを愛するキラキラことを親が出来るか否かにかかっているのだと思うウインク

 

 

おわり