皆さん、交通事故現場を通ったことは何度かあると思います。
時が風化すれば人々の記憶も薄れますし、そもそも事故現場だということすら知らずにいることも多いものです。
花が常に手向けられていたり、小さな観音様が置かれていたりする事故現場もありますから、そういう場合は、事故があった場所なんだなと、誰もが思います。
私が住む近所には、何年もの間ずっと花が供え続けてある、祖母と幼いお孫さんがお亡くなりになった事故現場もあります。
花を手向け続ける遺族は、そこに亡き人の霊の存在を感じ、延々と事故現場に花を手向け続けるのでしょうか?
もしかしたら、もっと違った感情があるのかもしれません。
どういう気持ちなのかは本当のところは知る由もありませんが、亡き人の遺族や知り合いの辛く悲しい思いを、供えられている慰霊の花から通行人も感じ取ったりします。
そういう場所を通るとき、皆さんはどういう気持ちでその場所を通りますか?
中には、人が亡くなった場所だということで、なんだか怖い気持ちで通る人もいるのではないでしょうか?
私も子供の頃は、そういう感情を抱いたことがあるのでわかります。
人が不慮の事故で亡くなった場所は、なんだか気味悪く怖いものです。
何を怖がっているのか? まさしく、その場所に呪縛霊でもいたら…などとどこかで思ってしまっているのではないでしょうか?
しかし、大人になった今は、そういう現場を通ったときもあまりそういうことは思わないようになりました。
事故直後であれば、「安らかにお眠りください」と、心の中で祈りますが、年月が経過すれば、そうもあまり思わないようになりました。
どうしてか・・
信号待ちの若い二人が、信号無視して突っ込んできた暴走車にはねられ、数十メートルも飛ばされてお亡くなりになるという、凄惨極まりない事故が何年も前に起きた交差点がありました。。
その事故から1年以上経過していた頃、そちら方面にある喫茶店めざして、知人たち数名と自転車で行くことになりました。
その喫茶店に行くには、交通事故現場の交差点を渡ります。
するとある人が「私、後から行くから先に行って」と言いました。
よく話を聞くと、交通事故現場は1年以上たった今も、怖くて通ることができないと言うのです。
ですから、皆よりも大きく遠回りして喫茶店に行くから、先に行ってということでした。
私は聞きました。
「何が怖いの?」
「だって、呪縛霊がいて、憑りつかれそうで怖い」
と言うのです。
その気持ちはわからないでもありませんでしたが、その人から嫌われるのを覚悟で言いました。
「自分が、亡くなった方の遺族だったらどう思うだろう?
自分のかわいい子どもが、他人を怖がらせる呪縛霊になっているかもと思われてるなんて・・
そんなことを知ったら、とても傷つき悲しむと思うよ。
事故当時の、あの手向けられた花束とおびただしい数の供え物見たでしょ?
亡くなった若い二人は、とっくに成仏して、天国の幸せな場所にいると思ってあげることはできないだろうか?
いつまでも、自分をこんな酷い目に合わせた事故現場に亡き人の霊がいる訳ないじゃない!」
とても心の優しいけれど、少し怖がりのその人は、
「そうだね。そう考えればいいんだね。私みたいに怖がっていたら、亡くなった方に失礼だよね」
と言って、我々と一緒に事故現場を1年以上ぶりに通ることができました。
後日、ふとした折にその人は言ってくれました。
「以来、あの場所通るの平気になったよ。ありがとう。あゆみちゃんのお蔭(^_^.)」
凄惨な事故で愛する遺族を亡くしたことがある人にしか、その気持ちはわからないのが、本当のところだろうと思います。
そして、考え方も慰霊の仕方も様々で当然です。
実際にその立場に立ったら、事故現場に花を手向けに行きたくなるのかもしれません。
坂本九さんもお亡くなりになった日本航空墜落事故の、遺族による御巣鷹山の慰霊登山も何年間もの間、報道されていました。
他人の我々も、亡き人の安らかな眠りを祈ってその場に祈りを捧げるのはよいと思いますが、
呪縛霊が・・などと言って怖がることは、亡くなった方にも遺族にも大変失礼なことだと、私は思っています。