長男は、後期日程受験の折に私と下宿探しをしながらも、仮に北大合格でもきちんと休学し、予備校に通って東大受験にもう一度チャレンジするか、迷いに迷っていた。

 

 

後期合格発表の日、結果は予想通り合格だった。

 

合格の二文字を頂いて、息子も正直嬉しそうだった。

 

私も、ほっとした。

息子は、高校の先生方に、北大合格の報告をしに高校に行った。


先生方が一様に仰ったことがあったそうだ。


「どうしても東大にもう一度チャレンジしたいなら好きにすればいいけど、〇〇には、東京よりも北海道の方がぴったりだと思う。」という言葉だ。

 

息子は「土地かよ~滝汗って思った!部活顧問も、担任も、信頼していた先生も、もう1人他の先生も、皆別々の所にいて、別々に報告したのに、皆同じこというんだよ!どういうことゲッソリ

と言って、口をとがらせていた。


息子は「東大もう一度頑張れビックリマーク」と背中を押してくれない先生方の態度に少し不満だったようだ。

 


東大受験はそんなに甘くないということもあるが、息子に力が無いからそう仰ったのではないと、私は思っている。

 

息子は、とてもおっとりしていて、超天然のおとぼけキャラだ。

自然が好きでフィールドワークが豊富な農学部森林科学を希望していた息子にとって、自然が身近な北海道大学はぴったりだ。 

と言ったところだったのではなかっただろうか?

 

 

当時の私は、息子の意思で浪人するかどうか決断させようと決意していたが、今考えると誘導に近い言葉を投げかけていたと思うあせる

 

「旧帝の後期受かって蹴る人、あまり聞いたことないね。」

 

「北大の農学部は伝統ある学部だよ。学部が違うなら別だけど、やりたいことは東大じゃなくても北大で十分できるでしょビックリマークむしろ北大のほうが、やりたいことに適しているくらいかもよ!?

 

「北大で学ぶ間に見えてくるものがきっとあるはず。大学院に行くとき、さらに極めたいことが東大にあるとその時判断されたなら、大学院から東大行ったっていいんじゃない?」

 


浪人するなら、予備校にも早いとこ申し込みに行かなければならないのに、結論をなかなか出すことのできない優柔不断な息子に業を煮やし、このように、畳み掛けるように説得に入っていたあせる

 

 

高3の時に在籍していた駿台予備校に相談していたら、「第一志望は譲れない」というキャッチフレーズ通りに背中を押してくれたかもしれないが、予備校に相談するという考えが当時の息子にはなく、そこまで親しくしていた予備校関係者はいなかっということもあり「もう一度、再チャレンジするべき」と息子の背中を押す大人は息子の回りに1人もいなかったキョロキョロ

 

肝心の高校の先生がたは北大進学を勧めてくるし、他に相談できる大人はいざとなるといないし、息子は一人で悶々としていた感じだった。

 

思考停止状態だったのかもしれない。

 

息子は、「学部からじゃなきゃ意味がないビックリマークと、東大への学部への拘りを当初見せていたが、「大学院からでも東大は入れる」という私の言葉に、結局は自分の決断の落としどころの理由をもっていったように思う。

 

北大入学後、いざという時の院試の為にも、短期留学したり、北大の留学生と交流したり、英語サークルにも所属するなど、英語力だけは磨きをかけるように細々とながら努力していたようだったから・・

 

 

また、北大進学を考えた理由として、予想以上に北海道大学の環境は素晴らしく、後期受験時の行く先々で親切な人々に出会ったということも、息子にとって、北海道の地そのものに好印象を与えていたというのもあった。

 

切符をなくした私に対する駅員さんの寛容な態度。

 

デパートの案内嬢のそこまで説明する?というくらい懇切丁寧な態度。

 

店を探す我々の為に自分の携帯電話で場所を調べて、店に電話まで入れてくれた通りすがりの男性など、本当に親切な人々に出会ったのだ。

 

余談だが、この印象は4年生になった今も息子の中では変わらないそうだ。

 

大学の友人たちも優しく大らかに息子の失敗を笑ってくれるし、自分も人に親切に接することができる人間になりたいと、こっちに来て強く思うようになったと今でも言っている。

 

息子は故郷よりも北海道のほうが好きになりつつあるくらいで、それくらい楽しく暮らせているのかと親として嬉しくなる気持ちと、故郷も大切に思ってほしいと少し寂しくなる気持ちの両方が複雑に私の心には湧いてくる。

 

 

こうして、長男は入学手続き期限ぎりぎりに北大に通うことを決断したのだった。

 

 

 

(追記)

 

そして、数年後に聞いた、息子の心境はこちら