試験会場から出てきた息子は晴れ晴れとした顔をしていた。
殆どの問題が解け手応え充分だったらしく、
「合格したと思う」と一言私に言った。
その足で、2人はぶらぶらと長いポプラ並木のほうに歩いていった。
そこには、誰も足を踏み入れていない広大な銀世界が広がっていた。
息子は、合格を確信した安堵感と後期日程を終えた解放感の中、
「お母さん、そこで待ってて」
と言って、1人で道路の先を歩いて行き、真っ平らな白銀の世界にそっと脚を踏み入れた。
息子の後ろ姿
ずぼっと膝まで雪に埋まってしまう。
次に、雪に足が埋まらないようにスピードをあげて両手を広げてひとしきり広大な景色の中をバタバタと走り回った
かと思うと、バタンと雪の中に仰向けに倒れ込み、澄み切った青空を暫くじっと眺めていた
息子はこのとき何を思っていたのだろう?
自分の人型シルエットを真っ白な雪に刻み込むと、そのシルエットを崩さないようにそっと起き上がり、私の待つ道路へと戻ってきた
私は、ピュアでストレートな息子の爆発した感情を目の前にして、息子の受験生活の終わりを予感した。
雪だらけになった息子の身体の雪をぱんぱんと払いながら、
「バッカだね~。べたべたじゃん。風邪ひかんといてよ」
と笑い、記念に息子の雪の人型を写真におさめた。
夜は、ジンギスカン
●2011年3月13日(日)
受験日の12日の午後と翌日13日の終日、1日半かけて雪道の中を歩き回った。
前期日程合格者で良さそうな物件は既に押さえられていて、残り少ない物件の中から下宿先の目星をなんとかつけた。
その間、歩きながら
「東大再受験どうする?北大合格していても浪人する?」
と私は息子に何度か聞いた。
息子は、
「うん、多分」「でもな~」「嫌、俺はもう一年頑張る」「いや、でもな~」を繰り返した。
下宿探しを私としながら浪人する道も真剣に考えるという矛盾の中で、息子は迷いに迷っていた。
「まぁ、合格発表まで時間はあるから、納得いくまでゆっくり考えなさい。お母さんはどっちでもいいから。」と答えた。
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帰りの飛行機まで時間があった。
受験が終わったという解放感も手伝って二人で映画館に向かい、ジョニー・デップ主演の「ツーリスト」という映画を観た。
その後、高層ビルの展望台で街並みを見下ろした。
広大な北大キャンパスが札幌駅のビルの展望台からも見える。
大都会だが、スキー場のある山肌も見えて、近くに自然を感じることができる美しい夕刻の風景が一面に広がっていた。
もしかしたら、息子はもうじきこの街に暮らすことになるのかもしれないと思うと、息子との別れのときが近づいているようで、少し、ものわびしい気持ちになりながら私は灯りが灯り始める街を眺めていた。
JR駅に行くと、募金活動が始まっていた。
被災地以外の大半の日本人が、日曜日でテレビに釘付けになっていたであろう中、外を歩き回って世の中の情報から遠ざかっていた自分たちだった。
「あぁ、大変な状況にある人々が、同じ日本に今大勢いるんだった」と現実に引き戻され、己のことで精一杯の呑気な自分たちに罪悪感にも似た申し訳なさで一杯になった。
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夜遅く空港に着くとロビーのテレビでは、福島原発事故のニュースがひっきりなしに流れていた。
自分たち親子の日常と、テレビの中の被災地の過酷な非日常が残酷な対比を作り出していた。
私たちは、被災地の凄まじい現実に実感を伴わせることが難しい中、発着を再開した飛行機に乗って、暗闇の中 家路へと飛んだ。
被災地上空をさしかかった時も、この下では大変なことが起きている…と思いながら、暗闇の中に浮かぶ大地をただただ無力感と共に眺めるしかなかった。