元旦、おせちを作って「まほうの家」に挨拶方々行きました
1月1日の歌を歌っていた16時前後の事皆の携帯が
一斉に鳴り響いた。緊急地震速報で一瞬どよめいた。
関東大震災から100年
いつ地震が来てもおかしくないと誰もが思っている。
大きな地震が来ると言う恐怖心が脳裏を過った。
を見ると、警報の震源地は石川県の能登と出ていた。
えっ能登がまた
帰宅してもテレビをつけっぱなしでいた。
確か阪神・淡路大震災も年明け早々の記憶がある。
今回の能登半島の大地震は元旦とは
誰が予想してたでしょうか
再び襲い来るであろう関東大震災については
その恐怖の経験をされた数人のお年寄りから聞いており
決して他人ごとではないと思います。
阪神・淡路大震災の時は被災者の方々を
九十九里に受け入れたことがある。
余震に怯えていたのが嘘のように無くなったと喜ばれていた。
東日本大震災の時は、八千代の私達にも被害がありました。
震度5弱でしたが、テレビは倒れ、瀬戸物やガラス物の置物等が
粉々に壊れ、夜の停電はお年寄りも不安だったと思う。
私は大きな声で歌ったり、笑わせたり必死でした。
何よりも辛かったのは、私の記憶の中にしっかりと生きていた
あの海が、懐かしい川や街、そして人々を
飲み込んでしまったことでした。
飛んで行きたくても、この頃から入退院が繰り返されて
行けなかったのです。
そうして、人々の心の傷も冷めやらぬ中
2024年1月1日、能登半島の大地震へ
日に日に被害の大きさが露わになってくる。
被害に遭遇されておられる皆々様のお気持ちを思うと
慰めの言葉さえ見つかりません
昨年年忘れ福祉の集いでゲスト出演して下さった
北脇貴士さんは石川県の観光特使をされておりますが
この年末年始に帰省されていて地震に会われ
お母様を連れて高台に避難され車中泊をされたそうですが
凍死寸前の寒さだったとの事
命が助かったことが一番とラインが返ってきました
今後何らかの形で復興に関与されることと思いますが
私も置かれた立場で出来ることをさせて頂きたいと思います