昭和61年9月1日・ワンコイン福祉を始めたとき利用会員になった

T・Wさんに「あんたいいこと始めたね。今は大変でもあんたは

徳をつんでんだよびっくりマーク」と言われました。

徳を積む??39歳の私にはピンとこない言葉でした。

でも多くの協力会員さんと利用会員さんに触れ合うことから

徳を積むという事はこういう事なんだと実感するようになりました。

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私の手書きのビラをもって初めて訪ねて来てくださったのは

星村松永子さんでした。以来村松さんとは今日まで一緒です。

村松さんは私の考えに賛同してくださり、人脈がおありだったようで

人を集めてお話をする機会も作ってくださいました。

「受けるより与える方が幸いである」と言う言葉がありますが

40年近いお付き合いの中で、いつも前向きで🫵

嬉しいことがあれば共に喜び爆  笑辛い時ショボーン苦しい時えー悲しい時悲しい

心から励まし支えて下さいましたニコニコ

至らない私は受けるばかりでしたが、ずいぶん後になって

村松さんご自身だって大変なご苦労があったのに、そんなことは

おくびにも出さないで支え続けて下さったとは

とても筆舌には尽くし難く只々感謝しかございません。

平成になってからの事ですが、村松さんがお知り合いの某会社で

公演をさせて頂く事になりました。「ターミナルケア・病院か・在宅か」

という事でお話しさせて頂いたのですが、私が経験したターミナルケアで

病院での事例と、在宅での事例を取り上げてお話させて頂きました。

最後に決定はご本人とご家族と言いました。

その後介護保険が施行されて間もなくの事でした。以前に公演させて頂いた

某会社の会長の事で相談に乗ってほしいと村松さんが言って来ました。

私は即訪問させて頂き、ご家族と今後の事について話し合いました。

星会長は癌末期で、入退院を繰り返しておられたとの事でしたが病院

ご本人の意思で、家で最期を迎えたいと退院れてご家族全員で協力されて

見守っておられました。ダブルベッドに横たわる会長に奥様が

添い寝されているという光景は、微笑ましくさえ見えました。

でも私にはもう何時急変してもおかしくない状態にあると見えましたので

ご家族にはその旨正直に話しました。

そして即クリニックのDrの協力を手配しました。

その夜会長は皆さんに看守られながら安らかな最期を迎えられましたイチョウ

会長は最後のしなければならない事の為に私を呼んだのだと思いました。

最後にしなければならない事の中には、まず当時は24時間以内にDrの

関与が必要でした。それがない場合は検死に回されてしまうからです。

死後の処置を誰がするかという事です。やはり当時は死後の処置は

医療行為ではありませんでしたので、私達がやらなければなりませんでした。

病院でしたら看護師がしてましたが、今日では葬儀屋さんがして下さいます。

でも私は母が死後物体として処置されるところを見てショックを受けました

そのことから私は亡くなられた方でも、生きていた時と同様に丁寧に

死後の処置はさせて頂きました。又お顔や手足等はご家族にご一緒に

して頂いたりもしました)

会長始めご家族の深い愛情と絆の強さに関わられていた村松さんも

皆々星徳を積んで来られた人達星なんだと身にしみて感じました。

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昭和61年から賛助会員だった村松さんは

乗っ取り事件以来ヘルパー2級を取得して

介護のお手伝い迄して下さり

力強い支えでした。