漫画トリオとその時代、と題してブログを書いていた。

アップした日に上岡龍太郎の訃報に接するとは…。

 

上岡龍太郎は、漫画トリオのツッコミとして芸人となった。

横山パンチ。

横山ノックの薫陶を受けた。

上岡自身ははじめ、ノックの弟子なのかと思っていたらしい。

であるが、寄席で「この子はノックちゃんの弟子か?」と先輩芸人に尋ねられたノックが「相方です」と紹介した事で、ああ、相方なんや、と思ったらしい。

当時、横山ノックも30代前半、師匠や先生と呼ばれる事に抵抗があった。

確かに中田ダイマル・ラケットや夢路いとし・喜味こいしらの前で師匠はおこがましいと思うのが当然だ。

 

上岡龍太郎は元々は、ジャズシンガー志望であった。

歌唱力の面で断念し、次には桂米朝に弟子入りを考える。

であるが、秋田Oスケとコンビ別れし、さらに横山ノック・アウトも解散して、後がなかったノックに見出されたのは幸運だっただろう。

漫画トリオとして60年から68年の8年間を駆け抜けた、まさに時代の寵児であった。

 

漫画トリオ活動休止にあたり、伊井パンチに改名。

であるが、父の旧姓と本名を組み合わせた上岡龍太郎として活躍した。

本人の述懐では「本当はフリーの漫才師になりたかった。誰とでも漫才が出来る漫才師。それがかないました。鶴瓶ちゃんともざこばちゃんとでも漫才出来る。今になってなれたんや。」ということであり、ここにも上岡龍太郎天才性が伺える。

 

横山ノックへの献杯の辞の素晴らしさは、今でも語り継がれる。

論理的で、排他的で、器用で、頑固で、偏屈で、自由で、まさに天才だった上岡龍太郎。

心からその死を悼む。

ありがとう、上岡龍太郎!

謹んで御冥福をお祈りいたします。