上岡龍太郎は後に漫画トリオの台頭期を振り返って、寄席に終日居られるのが良い芸人という時代と、テレビに出るのが良い芸人という端境の時期だった、と語っている。

暁伸・ミスハワイの絶頂期に、寄席のしきたりを破り土下座する暁伸を目撃したらしいが、寄席のベテランの方が格が上だった時代の最晩期であろう。

尤も暁伸は土下座しながら、怒鳴る師匠の啖呵をパクったというから凄まじい。

 

程なくして、漫画トリオはテレビの寵児として人気を博す。

ある時に、上岡龍太郎が朝日放送の社名入り封筒を小脇に寄席の楽屋入りした。

若き横山パンチは、誇らしい気持ちで封筒の社名を外に向けていた。

それに気付いた秋山たか志に注意されたという。

「こういうもんは見せびらかすな。内側に向けとくもんや」と。

上岡龍太郎は秋山たか志について様々な事を語っている。

好きな先輩だったのだろう、と思われる。

 

秋山は横山やすしにもアドバイスを与えているし、そもそも相方の西川きよしは秋山の付き人である。

 

漫画トリオが駆け抜けた8年。

1960年から1968年という期間は決して長くはない。

今の感覚であれば、僅か8年。

それは、演芸史的に見ても激動の時代であった。

寄席からテレビへ。

 

テレビ時代の生え抜きの天才、上岡龍太郎。

彼がテレビの没落を予見してか、引退して23年。