内海桂子という大芸人が亡くなって早三回忌。

浅草の街を歩いていると、時に寂しさを覚える。

浅草の象徴的存在だった内海桂子師匠。

1938年漫才デビュー、相方は高砂屋と志松。

1950年、内海好江を預かり桂子好江結成。

1997年内海好江逝去。

1998年から漫才協会(協団)会長を務めた。

2007年に会長職を青空球児に禅譲。名誉会長に就任。

2020年8月22日逝去。

 

受賞歴も物凄い。

1982年には漫才界初の芸術選奨文部大臣賞を受賞している。

紫綬褒章、宝冠章に叙勲されてもいる。

まさに漫才史に残る巨人であり、女流漫才の最高峰だった。

 

晩年の大きな功績として、ナイツを育成した事が挙げられる。

漫才協会を盛り立て、東京漫才に新たな火を灯したのはナイツに他ならない。

ナイツの若さを押さえて、TVに消費されるその他大勢にしなかったのは内海桂子であり、ナイツの2人が振り返って何度も語っている。

中身がないから消費されて終わり。

中身を充実させる事が大切。

この教えを守り、ナイツを大成させた。

以前にも『内海桂子最大の功績はナイツを育て上げた事』と言われる日が来ると思うと書いた。

ナイツはいずれ東京漫才中興の祖と言われるだろう。

 

青空球児好児から若手に至るまで、内海桂子の影響を受けた芸人は多い。

内海桂子好江の素晴らしい漫才は後世に残すべき宝だ。

東京漫才の殿堂入りは当然だと思うが、どうなのだろうか。

内海桂子好江の殿堂入りを楽しみにしている。

 

その上で内海桂子を偲ぶ会の開催があれば良いな、と思う。

 

大芸人内海桂子師匠のご冥福を改めてお祈りする。