なかなかブログを更新する気になれず、、、放置していました( ;∀;)

 

一か月近くたちましたが

記録として残しておかなければ。という気持ちがでてきて。

だって今思えば最初に悪性リンパ腫だと分かったとき、はじめての入院のとき

最初のころの記憶が細かいところまでは思い出せない。

 

転院してから移植開始まで時間があったので10日ほど退院できて

花火をしたり、毎日のように公園いったり、そんな毎日を過ごしました。

しかし再入院予定の2日前あたりから(その前からB症状の熱、汗はかなり)

首まわりの腫瘍がどんどんおおきくなってきておなかの腫瘍もおおきくなり

食欲がなくなりおなかが痛くなってきて。

あと2日、あと1日だから。。。ときっと私に症状をいう以上に苦しかったはず。

せっかくもらえた退院だけど、悪化したら意味がない。

1日短くなろうとも、移植して完解して毎日一緒に暮らすんだから

そういって一日早く病院へ。

 

さっそくステロイドの点滴でだいぶ痛みはおさまってホッと。

移植当日までの前処置へ。

大量の抗がん剤&放射線治療

相変わらずほとんど副作用なしで元気

しかし後半副作用で結膜炎に。

ほとんど目が明けていられない状態で精神的にも辛かったとおもう。

 

 

6月30日に息子入院

一緒に病院へいって事務的なこと、洗濯、ばたばたとして帰宅

7月の3日の移植日

朝から病院へ行き息子のところへ

グランを3日うって末梢血幹細胞移植へ

4時間程度血液を抜いて機械で末梢血幹細胞をとりだし残りの血を反対の腕へ戻していく。

順調にとれているようで旦那の病室へ

結膜炎もやっとのことよくなったようで一安心

夕方にはとれたてほやほやの末梢血幹細胞を点滴

必要量が1日でとれたそうで息子とハイタッチ!!

あとはうまく生着してくれて癌細胞をやっつけてくれて完解を祈るのみ

病院まで1時間半ほどかかるので後ろ髪ひかれながら帰宅。

駅まで送るよ。と息子が。

ほうほう、いつの間にか気の利くいい男になってきたじゃないか!

いろんな話をしながら駅まで歩きばいばい。

 

退院してからの通院は電車NG、自力運転NGとのことらしく

私免許もってない。。。。どうしよう。。。

これはもう今とるしかないよね!!ということでこの年になって教習所にいくことに。

仕事に家事に子育てに自分の通院に(事故のリハビリねw)旦那の見舞いに教習所

何足のわらじをはいてるんだ?というような生活ですが

教習所と自分の通院はそこまで長くは続かないし

今が頑張るときなんだ。そう思ってめまぐるしい毎日を送っています。

教習所の入校式から3週間ほどで仮免ゲット

この勢いで乗り切るんだ、頑張れわたしw

 

そしてそして移植の経過

一昨日白血球が300に

昨日は700

そして本日3000に!!

無事生着とのお言葉いただきました!!!

移植から12日

多少の下痢程度で元気は元気だったけれど、なんせ移植後なので

食事が。。。( ;∀;)  もう受け付けません!!みたいな拒絶反応があるらしく

全然食べれなかったようで10キロも痩せ、常におなかがすいていて(食欲はあり)

イライラも(´・ω・`)

そりゃ辛いよね。。でも治るためだもの。

頑張ろう。 そう言いたかったけど、頑張ろうってきっと今言っちゃダメ。

頑張ってるんだもん。辛いのは辛い

こういう時、何がしてあげられるんだろう。

しかーーし

本日担当医から一日1つ、アンパンかメロンパンかスティックパンを食べていいよ

と許可が(*'▽')

パン1つ食べれることでこんなにも嬉しくなるなんて

どんだけ辛かっただろうなぁと思うとぐぐっとくるけれど

本当にうれしそうで良かったね!!!!と二人で大喜びしました☆

早くおいしいごはんが食べられるようになるといいなー。

 

本当の闘いはこれから

免疫抑制剤を徐々に減らしていき、今後出るであろうGVHDとの闘い。

生着してくれた息子の血。

絶対絶対大丈夫。

秋の退院に向けて負けないぞ!!!!

 

 

 

色々な不安を抱えて兵庫の病院へ

受付をすますなり、すぐに話しをするはずだった教授が出てきて

紹介状を含め、経緯も一緒に見ながら話そう。と

すぐに案内されました。

最初から今までどうやって治療をしてきてどうなってきたか

詳しく聞いて、見て、触診もしてもらって

明日PETをしよう。

それで来週頭からすぐに入院しよう。

大丈夫。

と。

前日の話からこの展開に

驚きと嬉しさと行先の決まった安心感で旦那と涙涙で喜びました。

前日の先生の厳しいお話は間違いではないし

その数字は実際の話ではあるんだろうけれど

治療をしたい、と思ってきているので

こうやって前向きに、すぐ準備をしていただけたこと

こんなにほっとしたことはないってくらいに嬉しかったです。

実際、PETも入院も教授が無理を言ってあけてくれたようで

タイミングとか、なんだかいい方向に向いてきたようでうれしくてうれしくて。

 

前の病院を退院してから兵庫に入院するまでのあいだ

1週間ほど家ですごせたことも、子供たちにも旦那にも

楽しくてうれしい一週間。

 

いざ入院してから色々な細かな検査や今の状態を見つつ

今までの経緯を教授と移植チームの先生方で見てもらいながら

3週間くらいかけてちょこちょこ検査だけの日々。

ありがたいことに大丈夫だからって毎週末外泊させてもらえることに。

 

先週の土日はちょうど次女の参観日。

毎回かかさずいっていた旦那も病気になってから1度もいけなかった行事

娘も大喜びで、病院へ帰る時間まで

毎日毎日子供たちと公園いったり花火したり濃---い休日を過ごしました!

 

そして今週はというと

どこへ行こう、どこへ行こうと旦那と考えていた時に

子供達からずーっとずーっと行きたいと言われていた近所のちっちゃい子向けの

ちいさめの遊園地。

いつかね、いつかね。といい続けてきた遊園地。

正直遊園地なんていける余裕ないって(;'∀')と思う気持ちもあったけど

移植がはじまったら100日。

退院してからもしばらくそんなことできる状況じゃない。とのことで

もしかしたらずーーーーーっといけないだろう。と思って

よし!!!!!今しかない!!!!と思い行ってまいりました、遊園地。

 

金曜日の夕方帰ってきて土曜日朝から出発!

着いてから子供たちに教えるというサプライズでw

それはもうそれはもう

3分おきには 最高!今日本当に最高!!幸せすぎる!!!

とのお言葉をいただきましたw

こんなに喜んでくれるなら本当にきてよかった!

旦那と二人で楽しそうな子供たちを見て

幸せだねー。楽しいねー。きてよかったねーー。

を繰り返し繰り返し、閉園までびっちり遊びまくりました。

 

日々動きまくっている私ですら脚は棒のようにくったくたになったんだから

きっと旦那はそうとう疲れたはず。

それでもいっさい疲れたとはいわず幸せそうな顔をして。

こんな当たり前の毎日や、子供たちの嬉しそうな顔をみる毎日を

ずっとずっとこの人に見させてあげたい。そう強く思いました。

 

また来週も(もしかしたら今週は検査もすくないから平日も)外泊をいただけるはずなので

次こそ治療前最後の外泊になりそうなので

ゆっくり楽しく過ごしたいと思います。

 

 

 

 

PCをひらく暇もなく1か月が過ぎました。

 

あれから私が事故にあいまして。。。(;´・ω・)

バイクにのって通勤途中に自動車とぶつかってしまって。

怪我は打ち身程度で済んだのでよかったんですけどね><

気を付けないと(;'∀')

 

旦那の治療に関しては

結局、2回目の治療に入る前に腫瘍がむくむくと出てきたことで

効いていないと判断され移植しかないと言われました。

入院していた病院では臍帯血移植しかできないらしく

旦那は臍帯血移植ではだめだろうとのことで

ハプロ移植をすることに。

19歳の長男がドナーになることになり

検査などをして紹介状を書いてもらうことに。

 

どこの病院に転院しますか。とのことだったので

いろいろと不満というか、、どうなの。ということが多かった4か月。

血眼になって色々な病院を探しました。

物理的にいける場所であることと

移植に関して実績がある病院で、絶対に治したい。という強い思いで

2つの病院にしぼりました。

とにかく時間がない!と主治医に言われ

なのに空きがでるかはわからないしとりあえずいったん希望の病院にいって

話をしてからやっと空きがあるかの返事がもらえるとのことで

なんだか先手先手と言い続けてきたはずなのに

土壇場になってどうなるかわからないけど。みたいな話になって

結局患者本人が足を運んでいくつか当たって結果ダメだったら次言って、、、みたいな

そんな話ある???というような現実をつきつけられ・・・

どこがうけいれてくれるかもわからない、入院先もきまってない数日間は

(主治医にはいつ前みたいに腫瘍が喉を圧迫して呼吸ができなくなるかわからない)といわれ

とっても怖い数日をすごしました。

なんとか予約がとれた大阪〇立大学病院。

担当医もおすすめ??だったので旦那と朝から大阪へ

 

セカンドオピニオンという名目?なので話しに行くだけで1万円ほど。

 

ながーーーい間またされて呼ばれて入ったら

主人の容態、今までの経緯はいっさい話さず

永遠移植に関しての本のコピーを読み上げること1時間

ひたすらリスクの話でした。

化学療法がきかずすぐに腫瘍がでてくる場合の移植後の生存率10パーセント

移植をしたことによる死亡率30-50パーセント

そういう話をずっと聞かされ(リスクについては入院病院で何度もききました)

最後に治療をして1か月でなくなるより緩和ケアで10か月(たとえばの話)生きることも

選択としてある。そういった話をされました。

少ない可能性だとしても生きたい!!!そう思って今日きたんです。

移植を希望してます。

と伝えると

まぁすぐは空いてないし、前の病院で化学療法をやってから移植直前にきて。

と言われ。。。

がっくり肩をおとして病院をでました。

そんなもんなのかな。

私の希望としては化学療法も移植もすべて備わっている病院でしっかり治療をしてほしい。

前の病院みたいにナースコール呼んでも来ない、人手が足りないからって理由で治療する日にちを変えられる。そういった病院に旦那を預けたくない、この気持ちは叶わないんだろうか。。。

次の日には兵庫〇大学病院の予約もしていて、今日の話次第ってことだったので

報告がてらソーシャルワーカーに電話。

その方のプッシュもあって

同じような話になるかもしれない。また教科書読み上げられるだけで1万円とられるかもしれない。でも後悔しないように、やれることは全部やろう。

そういって次の日兵庫へ向かいました。

 

長くなったので次に

 

 

 

またまたブログも書いてる暇のない多忙な日々が続きました(´;ω;`)
あれから旦那は
CODOX-M/IVAC(R-CODOX-M/R-IVAC)療法
という強い治療が始まりました。
1クールが終了し、外泊中に何ヶ所かの腫瘍が1cmほど大きくなり、主治医からは移植を視野にいれましょう、との話に。
今の治療を続けていきながら、やはり進行が早い旦那はダメだったときに次の準備をし出したら間に合わないと。
まだ始まったばかりの治療、頭では分かっていても最後の手段といわれた移植をもう視野に入れなくてはいけないことが受け入れられない日々を過ごしています。
2クールがはじまってまた小さくなり全体的にも劇的に少なくなっていて、このままなくなってくれたら。と祈るばかり。
ただ主治医にそれを言うと遺伝子がどうこう、と否定的なことばかり。
入院してから先生からはリスクの話や毎回覚悟をしてくれ、やら、前向きな話をしてもらったことがなくメンタルがやられてしまいます。
なおかつ先週の外泊が6日くらいの予定が2泊になったのも、間髪入れずに治療するとの説明でそれなら。となったのに、病院戻ってから治療はGWはさんで人員が足りないから4日後から。とか。
絶対はじめからわかってたよね?
間髪入れずにとかいっといて病院都合で治療をのばすとか。
ナースコールしても30分待ったりとか。
全てにおいて、もう大事な旦那の命を預けられない、と。
移植になったらどのみち今の病院ではできはくて、治療実績の高い有名な病院へ行くならもう今の治療も込みで転院させてほしい。との旨を今日話しました。
いろんな不満も説明も先生とだけでは解決できない話も、ソーシャルワーカーと今日話をして全てぶつけてきました。
GWも休まず働き続け週1の休みに病院へ行き、そろそろ疲れがたまったのか、謎の下痢と頭痛と食後の胃痛。
とにかくとにかく今の治療が効きますように!!と祈る毎日です。

旦那は人前で手なんか絶対握らない、そういうタイプの人でしたが、今日見舞いで散歩としてフロアを2週してるときに手を繋いだんです。驚きー!
明るい看護師さんに後で仲良しなんだからー♥とからかわれましたが、なんだか嬉しかったなぁ。

治療で辛いと思ったことは一度もない。家族に迷惑や心配をかけてることが一番辛い。と言っていた旦那。

やれるときにやれる人がやれる事をやるのが当たり前。家族なんだから。
仕事をしまくるのも子供を1人でみるのも家のこともなにも苦じゃないよ。
と言ったけど、きっとまぎれてないだろうな。そういう人。
次の外泊になにをしようか、楽しい話をして今日は帰りました。
今日もきてくれてありがとう。
いっぱいしゃべってくれて嬉しかったで
ってメール。
毎日顔見に行きたいけど…私も明日から6連勤!頑張らねば!

二人でわんわん泣いた後、でも頑張ろう。負けないで生きよう。

そう約束して私は家に帰るため病室をでました。

旦那が外来入口まで見送ってくれて、バイバイしてから駐車場まで声をあげて泣きました。

しばらく涙が止まらず運転もできそうにもなく

子供のお迎えをお友達に頼んでしばらく駐車場でないていたら旦那からメールが

 

はじめておまえと別れるときに涙が止まらなかった

 

それをみてどんなに不安で怖くて寂しくて辛いだろうと思うと胸がえぐられそうでした。

いまだに駐車場から離れられない私を心配して

今から行くから待っててと点滴を看護婦さんにはずしてもらっていたようで

だめだよ!と言っていたら結局先生に見つかって止められたそうです。

大丈夫明日もくるからね。といってなんとか運転して帰宅しました。

 

小雨の中、涙と雨でびっちょびちょの顔をぬぐいながら深呼吸して子供を迎えに行き

事情をしっている友達も話をしたら大泣きして寄り添ってくれました。

友達と二人で子供らにみられないように泣いて泣いて

笑顔で子供のもとへいきご飯をいただいて家へ。

夜も泣いて泣いて眠れませんでした。

 

翌日朝から病院へいき、きっと旦那もずっと泣いたんでしょう。

目がぱんぱんの顔を見あって笑いました。

大丈夫!強い抗がん剤だし効くよ!!

絶対絶対退院しよう。

そう話してたまにうるっとしながら笑ったり話したりアイス食べたり

あっという間に夕方になり帰ることに。

二日あってリセットできたし、お互い頑張ろう!!

といってお別れ。

帰り道また泣きながら家まで帰りました。

 

あれから毎日何回も感情の起伏がはげしくて

大丈夫!絶対治る!!私もがんばらなきゃ

どうしよう。怖い辛い不安

二つの感情がジェットコースターのように何回も何回も駆け巡って

涙が枯れるってウソだな。って思いました。

 

その間どうしても突然泣いたりイライラしたりで

子供達には申し訳ないことをしました。

ただでさえ父親が入院していて不安だろうに、、

そのことを旦那にメールして

大変なのに余計に不安にさせてごめんね。というと

 

それが夫婦や。病気でも夫婦や。

 

その言葉にまたわんわん泣いて泣いて

離れていても守られている安心感で眠りにつきました。

 

しかしその日の夜からいっきに喉の腫瘍が膨れ上がり

面も1本も呑み込めない状況になりこのままいったら気管切開して

気道確保しないといけない。。という状況まで悪化。

抗がん剤を打ってから反応したのか暴れだしたのか効かず増殖してるのか。。

それはまだわからないけどとにかくよくない状況に。

昨夜先生から電話で

今の状況と気道確保するために切開することになる。との説明があり

急変もありえるので連絡とれるようにしていてください。

と言われました。

 

毎日毎日覚悟しろって

もう身が持たないよ。お願いだから助けてよ。

 

しかしその後耳鼻科の先生は気道はまだ大丈夫だし切開はもう少し様子見てもいい。

場合によっては扁桃腺を切ったらいい。とのこと。

 

どっちだよ!!!!!

 

超慎重派の主治医とまだ緊急を要する事態じゃないという耳鼻科。

 

結局強めのステロイドを打って様子を見ることに。

 

 

深夜、なんだか痛みもやわらいでこころなしか違和感もすくなくなった!

と旦那から嬉しいメールが

嬉しくて涙でた、というメールに

どれだけ一人で病室で恐怖と不安に襲われていただろうとおもうと

また胸が苦しくて、ステロイドのおかげで一時的におさまったのかもしれないけど

少しよくなった状況に泣いて喜びました。

 

そして今朝、

痛みもないしちいさくなってる感覚がある!

とメール。

嬉しくってもう踊りだしたいくらい、こんなにうれしいことってあるのかなってくらい大喜びして

万歳しました。

ほんの少しの前進が飛び上がるほどうれしいことなんて。

メールの文章も昨日までと違って明るい感じで

ほっとしただろうなーと思うと嬉しくてまた涙がぼろぼろでてきました。

 

結婚して10年ほど

毎日毎日、昨日より今日がもっと好きになるような

尊敬もできる頼りになる素敵な旦那です。

今までも今でも本当に一緒になってくれてよかった、と思える旦那です。

お願いだからもっともっと一緒にいさせてください。

私の一番好きな旦那の笑った顔をもっとこれからも見させてください。

なんでもするから

私の寿命もいくらでもわけるから

もっと一緒にいさせてください。