原発被災した子供の心、体
“福島差別”に甲状腺がんの発覚、ローマ教皇に訴えたいじめ「終わらない原発事故」に向き合う子どもたち
週刊女性PRIME [シュージョプライム]
原発事故に翻弄され続けてきた子どもたちは、この11年、何を思い、どう生き延びてきたのか
原発事故後、都内に避難をした全生さんは、避難先でいじめに遭い、過酷な少年時代を過ごしていた。
空き地のツクシを佃煮にして食べたり、かるがもの子どもの迷子を助けたりするような自然豊かな暮らしが一変したのは、2011年3月11日。東京電力・福島第一原子力発電所の事故が打ち砕いた。
政府からの避難指示はなく、いわゆる「自主避難」だった。このころ、次々と爆発する原発の状況に不安を感じた福島県の多くの人が、県外へ避難をしていた。
親戚の家には長居はできず、数日で別の親戚のところに身を寄せた。避難先を転々とする中で、全生さんの学校生活も始まった。そこで、いじめられるようになった。
私物に落書きをされたり、一方的に暴力をふるわれたり、“菌扱い”をされたりすることも当然つらかったが、いちばんつらかったのは人間扱いされないことだった。
原発事故から時間がたつにつれ、「自主避難者」への風当たりも強くなっていった。2017年には、福島県は避難住宅の提供を打ち切った。被害が残っているにもかかわらず国も福島県も「風評被害対策」には力を入れ、原発事故は終わったかのように振る舞うことで、被害を受けた人々の口をふさいだ。
被害を訴えると「加害者」に
2022年1月27日、甲状腺がんに罹患した当時6歳から16歳の子どもたちが原告となり、甲状腺がんは原発事故の影響だとして、因果関係を明らかにするよう東京電力を提訴した。事故後11年を経て初めて、放射線被ばくの影響について東京電力を訴える集団訴訟だ。
原告全員が甲状腺の摘出手術をし、6人のうち4人は再発、2度以上の手術を受けている。また、全摘した4人はホルモン剤を一生飲み続けなくてはならず、肺への遠隔転移を指摘されている子どももいる。この11年、「誰にも言えずに苦しんできた」理由のひとつは「風評加害者」と言われてしまうからだ。
「いま、福島県立医大の甲状腺エコー検査は、縮小しようとしています。そして(手術しなくていいがんを手術した)過剰診断だと言って、原発事故との因果関係はないと言います。なんでそうなるの、という憤りがあります」
「私もいろいろなことをあきらめたけれど、がんに罹患した年齢が低いほどあきらめるものが多い。身体と心に負担を抱え、恋愛も結婚もしない、1人で生きていく、と」
「家族で自主避難をすることになったので、編入手続きをしてください」と先生に伝えると「これを読め。安全安心と書いてある」と原発安全神話の本を差し出された。
また別の先生には「おまえが行く(避難する)と風評被害が広まる」と言われてしまう。わかなさんは唖然とした。
「私はものすごく死にたいって思っていたけど、ほんとはものすごく生きたいんじゃないかなって、そのとき思ったんです。死ねないのなら、生きる方法を探そうと思った」
森山詩穂さんが原告となっている「311子ども甲状腺がん裁判」では、3月11日まで、裁判費用をまかなうための寄付をネット上で募っている。ぜひ検索を。