これは犯罪性について書いたものではありません
安楽死について考えたい
安楽死を容認する国はある
母の2度目のピンチ
まだ、ピンチが迫っていなかったとき
「死なへんな」、と何度か言った
そして、かなり危ない状況になった
延命措置はしない状況だったらしい
たまたま器械があいていたので使われた
子供たちはビックリしていた
しかし、生き延びた、奇跡?
その後幸せな時期が長くあった
生きていてくれて、本当に良かった
三度目のピンチ
この時は、「死なへんな」、とは一度も言わなかった
そんな気力もなかったのか?死期を悟っていたのか?
日に日に悪化する病状との孤独な闘病
私の子供が変わり番こでついてくれた
最後が近づいたころ、僕が付き添った
動物園のけだもののごとく、母のベッドの周りをうろついた
医学ではもう助かり様がない事を理解した
向こうに転がってしまった時点を死と感じた
ずっと後で死亡宣告がされた
病状を分かりやすく説明してくれたし
担当医は良い人だったと思う
ALS嘱託殺人
人が死ぬことなど、何とも思っていない医者も結構いる?
そんな医者が関与したのかな、とは思う
素粒子 7/25
”死にたいという絶望と生きたいという希望と。”で始まる
違和感がある
ALSからの苦痛から逃れたい、という気持ち、そして死なのだろう
死に至ることしかないであろう耐えられない苦痛
その苦痛を我慢しても、意味がないという状況もある
その展望のない耐えがたい苦痛から逃れたい、逃れさせたい
というのは、本人と親密な者の願いであるような状況がある
安楽死は認められていない
それで良いと思う
しかし、延命治療をやめる、という道が、
医師にも本人にも親密な関係者にも残されている
医師の、何としても助ける、など空論である状況は常にある
ALS
酸素が供給できなくなる苦しみ、を素粒子は考慮できていない?